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私の家は、年末大晦日の夜に「年越しそば」を食する習慣がない。年明け元旦、日が昇ってから「そば」を食す。

私が幼かった頃には、私の祖父は「隠居生活」であったが、その祖父が貧乏職人であったために年末大晦日遅くまで仕事を行なっていたことから、明けて元旦に「そばを食す」ということになったらしく、それが我が家の習慣になったらしい。

代が変わった今では、その様なことはしなくなったが・・・

で、年越しそばの例を記したが、習慣、いや文化と言うべきか?と言うのは、同じ日本人同士であってもその地域や個人によって違うのである。ただし、今現在は通信や交通が「目ん玉が飛び出る」くらい進歩しているので、日本として、日本人としての肝心要の部分は共通・共有ということになっているに過ぎない。

もう少しいえば、雑煮に入れる餅の形、ソバ・ウドンのキツネとタヌキの違い、等々を考えれば、同じ日本でも「文化」とか「価値観」が違うということがわかろう。

ということも頭に入れて、馬鹿が騒いでいる「多文化共生」というのを考えるべき、と思う。

なお、話せばわかる、というのは「絵空事」である。日本もかつては「日本人同士凄惨なこと」を行なって、日本として、日本人としての肝心要の部分を共通・共有する、ということができたのである。

違う見方をすれば、日本は欧米と凄惨なことを行なったからこそ、なんとか欧米と「話せばわかる」ということができているのである。このことで、多くの血と汗を流した先人たちに感謝である。


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これが「Aircraft Carrier・・・空母」よ

改めて観てみよう、先日起きた出来事【EU帝国包囲戦・攻囲戦】を・・・

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名無しの権兵衛

都会に住む人が田舎に憧れて移住しても、価値観が合わずに挫折したという話は、日本のみらず外国でもよくあると聞きます。住む地域もそうですが、世代が違うと価値観も変わって、軋轢や対立が生じます。同じ文化圏で育った同国人同士ですらそうなのに、全く異質な文化圏、歴史的背景をもつ集団を国内に入れて、問題なく共存できると思えるのは、本当に不思議です。
多文化共生を騒いでいる人達は、国際交流のイベントで民族料理の屋台を食べ歩いたり、民俗舞踊を見て回る事と同一視しているように思います。そうしたイベントに参加するのは、それはそれで楽しいのですが、生活空間を共有することとは全く別物であることを理解していません。

2018/12/01 00:56

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裏の桜

Re: タイトルなし

> 都会に住む人が田舎に憧れて移住しても、価値観が合わずに挫折したという話は、日本のみらず外国でもよくあると聞きます。住む地域もそうですが、世代が違うと価値観も変わって、軋轢や対立が生じます。同じ文化圏で育った同国人同士ですらそうなのに、全く異質な文化圏、歴史的背景をもつ集団を国内に入れて、問題なく共存できると思えるのは、本当に不思議です。
> 多文化共生を騒いでいる人達は、国際交流のイベントで民族料理の屋台を食べ歩いたり、民俗舞踊を見て回る事と同一視しているように思います。そうしたイベントに参加するのは、それはそれで楽しいのですが、生活空間を共有することとは全く別物であることを理解していません。


「海外でわ〜」「海外は進んでいる〜」に扇動されてしまう多くの方は、ご指摘に様に【国際交流のイベントで民族料理の屋台を食べ歩いたり、民俗舞踊を見て回る事と同一視しているように思います。】という感覚でしょうね。

そして扇動する側の多くは、「我は絶対の正義である」という奢った考えしかないのでしょうね。というか、「我は絶対の正義」という感じで押し付ける行為こそ、「多文化共生」「多価値観」という趣旨から遠く離れている様に思えますけどね。

2018/12/01 09:22

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相模

多文化共生の見本

「多文化共生」と聞いて、それを理想と掲げた嘗ての満州国を思い出します。

この国は満洲国皇帝・愛新覚羅溥儀を元首に頂く国家でしたが、実質は日本経営の合衆国とも言うべき国家です。

建国理念として日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人による五族協和を掲げたそうですが、この国が永らえていたなら多文化共生の見本が出来たかも知れません。

なぜそう思うかと言えば、満州国は「歴史」がなかった。ゼロからスタートした国家だから多面的な可能性があったかも知れないと思うからです。
今の日本のように2千年の文化伝統があるところでは、異文化の持ち込みは国を壊します。私はそこを反対しています。

2018/12/03 06:33

comment avater

裏の桜

Re: 多文化共生の見本

相模さん、こんにちは。

> 「多文化共生」と聞いて、それを理想と掲げた嘗ての満州国を思い出します。
>
> この国は満洲国皇帝・愛新覚羅溥儀を元首に頂く国家でしたが、実質は日本経営の合衆国とも言うべき国家です。
>
> 建国理念として日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人による五族協和を掲げたそうですが、この国が永らえていたなら多文化共生の見本が出来たかも知れません。
>
> なぜそう思うかと言えば、満州国は「歴史」がなかった。ゼロからスタートした国家だから多面的な可能性があったかも知れないと思うからです。
> 今の日本のように2千年の文化伝統があるところでは、異文化の持ち込みは国を壊します。私はそこを反対しています。


相模さんのご指摘は、やはり隻眼ですね。

違う見方をすれば、かつて日本は「満州」にて「多文化共生」を行うとした。それがどの様な政治的意図があったにせよ、あの地にて様々な人種・民族・価値観・文化等を尊重しあう国を作ろうとした。

しかし、当時の欧米列強の横槍で頓挫。そしてその当時の欧米列強の多くは、現在「多文化共生マンセー」を掲げ、現在の日本に対して「それを行え」と迫り、その方向へ日本も舵を切り始めた。

この様に記すと「排他的」とか「差別が〜」と言われそうですが、「白人ちゃ身勝手」と思いますよ。それ以上に身勝手なのが、日本に巣食う「へんてこりん」な日本人?と特亜人?たち。このへんてこりんな日本人?と特亜人?たちが、白人様が言っていたから〜、と大騒ぎ。

2018/12/03 09:17

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