昔のエントリを探し出した。そのエントリは、「イザ」という産経ブループが運営していたブログで記したものである。それを「イザの閉鎖」とともに、FC2に移行した。

そのエントリを再度掲載する。

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「朝鮮戦争」といえば、日本人も何か思う人もおられるだろう。
 
だが、事実上朝鮮戦争で最前線で戦ったアメリカにとっては、「忘れたい戦争」「無かったことにしたい戦争」のようだ。
 
私の手元に上・下巻、一千ページを超える本がある。本の題名は「ザ・コールデスト・ウィンター 朝鮮戦争」著者「ディヴィッド・ハルバースタム」発行元「株式会社文芸春秋」
 
この本は、朝鮮戦争で戦い帰還した元アメリカ軍兵士からの膨大なインタビューをもとに、アメリカにとっての「朝鮮戦争とは何か?」ということを書いた本だ。
 
少し長めの引用になるが、一部を引用してみよう。

 
【兵士たちの多くは朝鮮に送られたことに、怒りをもち続けた。ある者は第二次世界大戦に出征し、その後予備役入りして民間の職業についていたころに招集がかかりしぶしぶ応じた。告げられたのは十年の間に二度目となる国外戦争への従軍だった。同世代の大勢の者がそのどちらにも招集がかからなかったのにである。第二次世界大戦で兵役に就いてそのまま陸軍に残った者たちは、北朝鮮軍が攻めてきた当時の米軍の哀れな状態に憤った。定員も訓練も足りない部隊、欠陥だらけの旧式装備、驚くばかりの低水準の指揮官層。かれらが知っている第二次世界大戦最盛期の陸軍の強さ、職業軍人魂とたくましさ。それらと朝鮮戦争緒戦のころの米軍の貧弱さとの落差はショック以外の何ものでもなかった。経験が深ければ深いほど、戦いに強いられる諸条件への失望と驚きはいよいよ大きかった。
 朝鮮戦争の最悪の側面は「朝鮮戦争そのもの」と第二歩兵師団第二三連隊所属の大隊長だったジョージ・ラッセル中佐は書く。工業生産とその所産である兵器、とりわけ戦車への依存度の高い軍隊には朝鮮半島は最悪の地勢だった。スペインやスイスのような国々にも急峻な山岳地帯はあるが、じきに平坦な平野が開け、そこでは工業諸大国の戦車の投入が可能である。ところが、朝鮮は、ラッセルによれば、アメリカ人の目には「重畳折りなす山また山」だった。もし朝鮮を色でたとえるとすれば「茶褐色のグラデーション」になる。朝鮮で戦った功労に対して贈られる従軍勲章があったとするなら、従軍したGI全員が勲章の色として茶褐色を選んだだろう。
 朝鮮戦争は、テレビニュースが本来の力を発揮する以前に起こった。アメリカの情報化社会に入る前の時代で、そこがベトナム戦争とは異なる。朝鮮戦争のころのテレビのニュース番組の放送時間帯は一晩に十五分間しかなかった。内容もそっけないもので、影響も限られていた。当時の技術では、朝鮮からの素材がニューヨークの本社もニュースルームに届くのは通常、深夜で、全国民を震撼させることはめったになかった。朝鮮戦争は、まだプリントメディアの時代の戦争だった。白黒印刷の新聞で報道され、国民の意識もその域を出なかった。
 この本の執筆中の二〇〇四年、わたしはたまたまフロリダ州キーウエストの図書館を訪ねたことがあった。書架にはベトナム戦争関係の書籍は八十八点あったのに朝鮮戦争のものはわずか四点しかなかった。これはアメリカ人の意識をそのまま反映したものだ。
 若いころ第二歩兵師団の工兵で中国の捕虜収容所に二年半いたことがあるアーデン・ローリーは苦々しげにこう語っている。
 朝鮮戦争で行われた主要戦闘の五十周年記念が催された二〇〇一年から二年かけてアメリカでは三本の大型戦争映画が作られた。『パール・ハーバー』『ウィンドトーカーズ』『ワンス・アンド・フォーエバー』がその三本で、前の二本は第二次世界大戦物、三番目はベトナム戦争に関するものだった。これに、一九九八年制作の『プライベート・ライアン』を加えると、トータルで四本になるが、朝鮮戦争物は皆無だった。もっともよく知られた朝鮮戦争がらみの映画は一九六二年の『影なき狙撃者』。中国の捕虜収容所で洗脳されてアメリカ大統領候補をつけねらう共産主義者の暗殺ロボットに仕立てられたアメリカ人捕虜の話だ。
 戦時中の陸軍移動外科病院をあつかったロバート・アルトマン監督の反戦映画『マッシュ』。その後テレビシリーズとなったこの映画は朝鮮戦争に見せかけているが、実はベトナム戦争が主題である。封切られた一九七〇年は反戦運動が最高潮に達したころで、ハリウッドの役員たちは反ベトナム戦争映画の制作には神経質になっていた。映画をつくる最初から朝鮮戦争は、ベトナム戦争の隠れミノだった。アルトマン監督と脚本家リンダ・ラードナー・ジュニアはベトナムに焦点を当てながら、ベトナム戦争の当時の段階では、まだコメディにするには繊細すぎる問題だと考えたのだった。映画に登場する兵士も士官もベトナム戦争時代のもじゃもじゃ髪で朝鮮戦争期のクルー・カットではない。
 この戦争が持つ残虐性の実相はアメリカ人の文化意識にまったく浸透しなかったのだ。この戦いでアメリカ人の死者は推計で三万三千人、ほかに十万五千人が負傷した。韓国側の損害は死者四十一万五千人、負傷者四十二万九千人だった。中国と北朝鮮はその死傷者数を固く秘匿しているが、米軍当局者は死者およそ百五十万人だったと見積もっている。
 朝鮮戦争は冷戦を一時熱くし、アメリカと共産陣営との間ですでに顕著になっていた(しかも、ますます高まっていた)緊張を高め、アジアで存在感を見せつつあった共産勢力とアメリカとの亀裂を深めた。二極間紛争の当事者間の緊張と分裂は、アメリカの誤算が中国の参戦を招いた後、一段と深刻化する。戦いが終わり軍事休戦が実現すると、双方が勝利を主張した。もっとも、朝鮮半島の最終的な分割線は開戦前とあまり変わらなかった。だが、アメリカは同じアメリカではなかった。対アジア戦略像は変化し、国内の政治状況は大幅に塗り換えられた。
 
 朝鮮戦争で戦った兵士たちは母国の同胞から疎んじられたと感じることが多かった。その犠牲は感謝されなかった。同世代の人びとの目には重要度の低い遠隔の地の戦争であるにすぎない。朝鮮戦争には、第二次世界大戦にあったあの栄光と正統性はかけらもなかった。第二次世界大戦では、国民が国を挙げて一つの偉大な目的を共有し、兵士一人ひとりがアメリカの民主精神と至善のアメリカ的価値観を広宣流布する使徒と目され、高く賞賛された。
 いっぽうの、朝鮮戦争は退屈な限定戦争であった。そこからはこの先、あまりいいことは何も生まれてこない、と国民はさっさと決めてしまった。兵士が帰還して気がついたのは、かれらの体験に隣人たちが総じてさしたる興味を示さないことだった。会話のなかで戦争話はすぐに無用の話題にされた。家庭内のできごとや職場での昇進、新しい家屋や新車の購入のほうがもっとも興味を引くテーマだった。その原因の一部は、朝鮮からのニュースがほとんどいつもたいへん暗いからだった。戦況がよいときでも、必ずしも非常によいとはいかなかった。戦局の飛躍的進展の公算が近いと見えたことはほとんどなく、ましてや勝利に近づく気配は何もなかった。とりわけ、一九五〇年十一月下旬、中国が大兵力をもって参戦すると皆無になった。膠着状態を表す自嘲的なフレーズが兵士たちの間で人気になった。「Die for a tie(ダイ・フォー・ア・タイ)」。勝利のためではない、引き分けるために死ぬのだ。
 朝鮮戦争で戦った兵士たちと祖国の人びとの間には大きな心理的隔たりがあった。兵士らがどんなに勇猛果敢に大義のもとに戦おうと、第二次世界大戦の兵士にくらべれば、しょせん「二流」だったのである。兵士たちは、戦後も、そのことでやりきれない思いをした。しかし、彼らは静かに耐え忍ぶしかなかった。】
 

このような本で、残念なことがある。ある意味仕方がないことなのだが、どうしてもアメリカ人というか、第二次世界大戦の先勝国側から朝鮮戦争のことを書くとなると、日本の戦前戦中のことを書くこととなる。書かなければ、なぜ朝鮮半島が分断されたのか?かつドイツは東西統一を果たせたのに朝鮮は未だ果たせないのか?ということが見えてこなくなるからだ。その時にどうしても「日本は悪い」という観点がこのような著書に書かれることとなる。
 

著者は、この本を書き上げた後、不慮の事故で亡くなっている。本の著者紹介で著者を次のように紹介している

《デイヴィット・ハルバースタム。
 作家。アメリカが生んだ最も偉大なジャーナリスト。
 1955年にハーバード大学を卒業後、『ニューヨーク・タイムズ』入社、ベトナム特派員としての経験と広範な取材をもとに、ケネディ政権がベトナムの悲劇に突き進む様を描いた『ベスト&プライテスト』(1972年)で大きな賞賛をあびる。以降、徹底したインタビューと、エピソードを積み重ねるニュージャーナリズムと呼ばれる手法で、アメリカのメディア産業の勃興を描いた『メディアの権力』(1979年)、日米自動車戦争を描いた『覇者の驕り』(1986年)など、骨太な現代史のテーマを次々にものにした。
 本書は、10年越しの仕事。ゲラに最後の筆をいれた翌週の2007年4月23日、交通事故で死亡。次の本のインテビューへ向かう途上の悲劇だった。日本語版版権は、直後から遺族と交渉し独占入手したものである》
 
1955年に大学を卒業となっているから、もろに戦後史、第二次世界大戦史とその戦後史はリベラルだと思う。日本でデカイ顔をしてる今現在七十歳代の自称ジャーナリストたちと同じ第二次世界大戦史観を持っていたと考えられる。
 
ともかく、驚かずにはおられまい。引用した文にも書いてあるように、第二次世界大戦後間もなく始まった戦争で、あれだけの損害をアメリカは出しながら、朝鮮戦争を重要な戦争とは受け止めていないのだ。

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このエントリを記したのは、平成22年(2010年)1月である。



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表裏一体 2

諸刃の剣

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短足おじさん二世

貴重な話、有難う御座います

こんな記事があったことを全く知りませんでした。裏の桜さんのエントリーはこの頃には全部見ていたはずなんですが、見れども見えず・・・。
でも大変貴重な話で、私もこの関連の話をもう少し突っ込んでまとめてみたいと思います。
その際この話も引用させていただきたいので、宜しくお願いします。

2017/04/29 07:52

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裏の桜

Re: 貴重な話、有難う御座います

短足おじさん二世さん、こんにちは。

> こんな記事があったことを全く知りませんでした。裏の桜さんのエントリーはこの頃には全部見ていたはずなんですが、見れども見えず・・・。
> でも大変貴重な話で、私もこの関連の話をもう少し突っ込んでまとめてみたいと思います。
> その際この話も引用させていただきたいので、宜しくお願いします。


色々な要素、価値観の変化等があるかと思いますが、米国が戦争で戦った兵士(同じ米国民)を蔑ろにするというのがなんとも言えませんね。

どうぞお使いください。

2017/04/29 10:46

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