普天間基地の移転云々を観ていると、日本は軍事を分かっていないな〜、いや政治が分かっていないな〜、と本当に思う。
 

塩野七生著『海の都の物語 5』の中から 第十一話二大帝国の谷間で より抜粋引用
 
【「強国とは、戦争も平和も、思いのままになる国家のことであります。わがヴェネツィア共和国は、もはや、そのような立場にないことを認めるしかありません」】
 
 
塩野七生著『海の都の物語 6』の中から 第十二話地中海最後の砦 より抜粋引用
 
【十七世紀のはじめ、外交官であり歴史家でもあったパオロ・パルータは、著作の一つ『政治生活の熟成について』の中で、次のように述べている。
 
「平和の甘美な果実を味わうのは、あらゆる政治的軍事的活動の究極の目標である。それゆえ、君主国であろうと共和国であろうと、国家の目標を軍事のみに集中し、戦争を繰り返し、国の境界を広げることだけに熱中するのは、その目標達成につながる道では決してない。その道は、多くの他国民を支配することではなく、自国の統治を正義にもとづいて行うことであり、国民に対して、平和と安全を保証することである」
 
まったく、異論をさしはさむ余地もない正論である。
 
政治生活の究極の目標は、個人であれ国家であれ、権力にありとしたマキアヴェッリから一世紀も経つと、これほどまでに〝成熟〟するのかというようなことは言うまい。また、海との結婚を祝祭化することによって、海を自分たちの所有物であるかのように考えてきたヴェネツィア人も、さすがに十七世紀ともなるとマイホーム主義者に変じたか、嘆くようなこともすまい。もしも、ヴェネツィア一国だけでなく他の国々も、パルータと同じように考えるようになったら、世界平和にとってはこれ以上の進歩はないのだから。
 
しかし、マキアヴェッリの著作がルネサンス時代を代表するだけでなく、時代を越えて通用する政治哲学の古典となり得たのは、理想を述べたからではなく、現実を喝破したからである。十七世紀のヴェネツィアは〝成熟〟を完成し、平和の甘美な果実を味わう心境に達したかもしれないが、他の国々は、成熟に向かってわき目もふらずに邁進中であったのが、ヴェネツィアの不幸であった。勝手に平和宣言をしただけでは平和は達成できないところが、永遠の問題なのである。】
 

引用した文章はブログで何度か引用紹介しているけど、本当に引用した文章の通りだと思う。
 
引用した文章の強国を、現代に置き換えたらアメリカであり中国だ。アメリカ中国が戦争も平和も思いのままになる国なのだ。その間に位置するのがいまの日本だ。
 
この事実、現実を我々日本人は理解していない人が多い。ただ単に「平和」と声高に言えば、平和が達成できると思っている。それ以上に、日本の政治家の中に国際社会の現実を理解していない人が多いことが、普天間基地移設のことをよりいっそう複雑にしていると思う。
 
 

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