FC2ブログ

 
憲法を改正すれば日本は世界で孤立」=日本の学者―中国メディア
Record China 12月28日(金)11時27分配信
 
2012年12月26日、自民党安倍晋三総裁が正式に総理大臣に就任した。一度退陣した首相が再び就任するのは日本では64年ぶりだ。安倍氏は5年前に政権を放棄した首相という汚名をそそぎ、自らのイメージを修復しなければならない。一方外部は、安倍氏が今後数年で日本をどのような国に変えるかにより注目している。環球時報が伝えた。
 
また、共同通信によると、平和憲法改正は安倍氏の宿願だ。日本の学者、藤原帰一氏は「日本はたちまち世界で孤立するだろう」と警告する。北東アジアで日本はすでに孤立とさほど変わらぬ状態にある。中韓露との領土紛争の解決が、その取り組みリストの最重要議題と見なされている。
 
さらに「韓国経済」は、「極右の強硬的主張から関係改善を求める低姿勢へ。安倍氏は選挙前後でまるで別人のようだ。便宜上の措置なのか真摯な姿勢なのか、世界のメディアは次々に推測をしている」と報じた。
 
このほか、ドイツ誌シュピーゲルは「安倍氏を選択したことは日本の民衆にとって冒険的な一歩だ」と報じた。安倍氏は26日、最も厄介な外相、防衛相人事をついに決定し、組閣を終えた。安倍丸はすでに出航した。最も現実的な問題は、遠くまで航海しないうちに座礁、転覆することをいかに避けるかだ。(提供/人民網日本語版・翻訳/NA・編集/内山)
 
この引用記事で注目すべきは、【また、共同通信によると、平和憲法改正は安倍氏の宿願だ。日本の学者、藤原帰一氏は「日本はたちまち世界で孤立するだろう」と警告する。】の部分ですね。
 
藤原 帰一(ふじわら きいち、1956年6月16日 - )は、日本の政治学者。東京大学大学院法学政治学研究科教授。
 
東京大学では坂本義和、イェール大学ではジェームズ・C・スコットに師事。フィリピン政治研究からスタートし、同国の民主化や政軍関係を研究。ASEAN諸国など発展途上国の比較政治分析にも手を広げた。90年代以降は国際政治に関する業績が増え、冷戦の終結過程などについて研究。
2001年に刊行した処女単著『戦争を記憶する』が、折からの歴史認識論争のなかで注目された。同時多発テロ事件以後は総合雑誌や新聞など論壇活動が増えていき、テレビ出演も数多い。2010年4月からは2011年9月までテレビ朝日「サンデー・フロントライン」のレギュラーを務めた。
憲法9条に関しては改正不要の立場をとり、『朝日新聞』などへの執筆機会も多い一方、かつて左派論壇で多かった「憲法九条のおかげで戦後日本が戦争に巻き込まれなかった」と主張する論者とは一線を画し、自衛隊や日米安保条約を肯定している。近時は『SIGHT』、『東洋経済』、『ダイヤモンド』に登場、ないし定期寄稿している。2011年4月から『朝日新聞』夕刊に月一回のコラム「時事小言」を担当、また『kotoba』(季刊、集英社)では「国際政治の練習問題」を連載している。なお、『青春と読書』(集英社)で「ナショナリスト」を連載したが、単行書にはまとめられていない(2007年7月号-11月号)。また、放送大学にて国際政治の講義を担当している。
大学時代は映画ばかり見ていたという映画マニアとしても知られ、『論座』連載をまとめた『映画のなかのアメリカ』のほか、『本』(講談社)では「アンチ・ヒーローのアメリカ」を連載した(2004年9月-2005年9月,単行本未収録)。2007年8月から2012年5月まで、『AERA』で「映画の記憶」を連載した(『これは映画だ!』に収録)。『外交』に『戦争と映画』を連載中。
 
東京大学では坂本義和に師事?
 
坂本義和とは何者?と成りますと・・・・
 
坂本 義和 (さかもと よしかず、1927年9月16日 - )は、日本の政治学者。東京大学名誉教授、国際基督教大学平和研究所顧問。専門は、国際政治学、平和学。戦後の進歩的文化人を代表する人物の一人であり、学問的活動とともに、論壇で発言し続けた。父は東亜同文書院教授の坂本義孝。
 
1927年(昭和2年)9月16日、米国ロサンゼルスで義孝・太代子の第三子として生まれ、ほどなく上海に移り、小学3年まで上海で育ち、その後日本(鎌倉・東京)に定住することになった。
1945年3月に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。旧制第一高等学校を経て、1948年東大法学部に入学し、演習は丸山ゼミであった。1951年東京大学法学部卒業。1954年4月助教授に任命される。 1955年7月シカゴ大学に留学し、ハンス・J・モーゲンソーに師事。
1959年、雑誌『世界』(1959年8月号)掲載の「中立日本の防衛構想」で国連警察軍駐留論を唱える。
1964年から1988年まで法学部教授として国際政治学を担当する。東大紛争では加藤一郎総長代行と共に解決に尽力。東大教授退官後は明治学院大学、国際基督教大学で教える。衆議院議員の加藤紘一や政治学者の藤原帰一は坂本の演習の選択者である。
戦後冷戦期の論壇において、アメリカに批判的な平和主義の立場から、高坂正堯や永井陽之助らと外交や安全保障政策をめぐって、論戦を交わす。いわゆる「アイデアリズムとリアリズムの論争」とされるものだが、モーゲンソーの弟子としての坂本は、外交を道徳論レベルでのみ考えるものでない。したがって、坂本にあっては、日米安保条約の相対化のみならずいわゆる9条護憲主義もまた相対化され、「一国平和主義でなく、国連中心主義にたっての自衛隊の国際貢献のみの使用」が導き出される。
北朝鮮による日本人拉致問題では、「『拉致疑惑』問題は、今や日本では完全に特定の政治勢力に利用されている。先日、横田めぐみさんの両親が外務省に行って、『まず、この事件の解決が先決で、それまでは食糧支援をすべきでない』と申し入れた。これには私は怒りを覚えた。自分の子どものことが気になるなら、食糧が不足している北朝鮮の子どもたちの苦境に心を痛め、援助を送るのが当然だ。それが人道的ということなのだ」と発言した。この発言を巡っては拉致被害者家族会やその支援者からの反発を受けた。
2002年(平成14年)に北朝鮮自身が日本人拉致を認めると、坂本は『諸君!』『正論』などから激しく批判された。また、山脇直司のようなリベラル派からも、北朝鮮による拉致という国家犯罪は絶対に許してはならないし、左翼知識人の過去の言動は徹底的に糾弾されてしかるべきだろう、と批判された[8]。こうした言動を取る坂本は、北朝鮮が日本で最も信用する進歩的文化人の1人であり、武者小路公秀と共に、朝鮮労働党日本共産党の関係改善の斡旋役を務めたこともある。
1994年、作家柳美里の小説『石に泳ぐ魚』が提訴された裁判では、原告の知人として大江健三郎らとチームを作り原告を支援して勝訴に導いた。柳は、これが彼らの「運動」だったと批判している(『世界のひびわれと魂の空白を』新潮社)。
2000年代になっても、尚、「単独講和より全面講和の道を選ぶべき」という論説を朝日新聞に掲載。この論説については神谷不二が産経新聞の「正論」で批判を述べている。
 
Wikiには記述されていまして・・・・日本のヘンチクリン既存メディアや特亜が重宝したがる「知識人」「学者」と言う事ですね。

スポンサーサイト



  • このエントリーをはてなブックマークに追加

地域独占

バラエティー番組の奔り

comment iconコメント

コメントの投稿



trackback iconトラックバック

トラックバックURL:http://sakuraura.blog.fc2.com/tb.php/1974-12f96c04

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)