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 賃貸アパート大手レオパレス21(東京)が、物件に地球温暖化対策として導入していた3時間で自動停止するエアコンに対し、猛暑のため苦情が急増していることが31日分かった。同社は機器の交換や設定変更の対応に乗り出した。

 同社によると、同種のエアコンは平成14年1月~27年3月に建築した計約39万戸に設置。これまでに約6万4千戸で作業を終えた。記録的な猛暑となった今年は、エアコンをめぐる入居者からの問い合わせは今年6月に130件、7月は29日までに1165件と例年を上回るペースで急増。「熱中症になりかねない」「命に関わる」などの声が寄せられた。

【エアコン3時間切断に苦情 レオパレス、猛暑で対応策 7月の問い合わせ千件超】より


面白い記事ですね。わたしゃ、この様な記事大好きです。

だって、世に中が「何々だ〜」という方向へ向かうと、そこもかしこも同じ方向へ向き、それが絶対となり、そのことで不都合?軌道修正?ということになっても「何々だから〜」と言って、一向に軌道修正しませんからね。

この引用記事というか、「オンダンカ〜」なんか最たる例でしょ?

で、今は「エアコンを使用したまま」の方が、エアコンを点けたり消したりするよりも電気代がかからない・・・ただし、比較的最新型のエアコンに関してですが・・ということが知られつつありますが、でもやはり「室外機」から出る「熱」は、今でも「温暖化の原因?」と言われているんでしょ?

そして、いくら「省エネ?」モデルと雖も、一度に何万台というエアコンが使用されれば、その消費電力は桁違いなわけで、温暖化の原因とされる「化石燃料の大量消費」に繋がっているんじゃないのですか?

まさか?太陽光発電が充実してきたから、電力供給に余裕がある、なんて考えてはいませんよね?

火力発電が休みなくフル稼働しているから、エアコンをガンガン使えるんですよ。

このことは、電気自動車にも言えるんじゃないでしょうかね?

電気自動車は、温暖化の原因の一つとされる「CO2」を排出しません。当然、大気汚染の素となる排ガスも出ませんが、電気自動車を充電するとなると・・・桁違いの電力が必要となることは誰の目から見ても明らか。それをどうするのか?という課題の解決が見えないまま、今以上の大量電力消費時代を迎えようとしている。

要は、なんだかんだと大騒ぎしようが、いまの世の中「安定した質の良い大量の電力」がなかったら、何もできないのですよ。

これを皆さんは理解していますかね?


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イメージ取り込み 1806

これは誰に対して訴えているわけ????

それとも「英語表記ならば、どの様なことを記しても日本ではバレない、許される」と考えているのでしょうかね?

だとしたら、それこそ名も無き普通の「日本国民(人)」をバカにしていませんかね?


そういえば、日本のクオリティペーパー???オピニオン???と詐称している新聞社が、英語で発行している媒体での記事を「訂正しない」「謝罪もしない」と息巻いておるとか???

その様なことが、この様なことを行うアホを生産する要因なんですかね????



おまけの無駄知識


【せいさん-生産】

生活に必要な物資などをつくりだすこと。「米を生産する」「大量生産」

人間が自然に働きかけ、財・サービスをつくりだし、または採取・育成する活動



【しょうさん-生産】

出産(しゅっさん)


イメージ取り込み 1805

差別は良くない、個人の容姿等を貶したりすることはよくない、個性だ・・等々大騒ぎする側ちゃ、自分たちの気に入らない相手のことに関しちゃ、平気でこの画像の様なことをするよね。

ほんと、この二枚舌はなんなのだろうね?


【研究紹介】1942年春、米国による本土初空襲。被害を受けた学校は3校。当時の史料からは、教師たちが鎮火・児童保護に奔走した様子が伝わる。だれも御真影のことは気にかけていない。「空襲の際に御真影を取り出そうとして死ぬ校長」というステレオタイプの起源が気になる(吉江弘和助教) #研究紹介


これは「国際日本文化研究センター」というところのTweet。

このTweetだけでは、どの様なことを研究し、何を探求しようとしているのかは、我々「無学」な者にはわからない。しかし、なかなか面白いアプローチというか、なぜそうなったのか?ということを考える上で興味深いことだと思う。


なお、引用Tweetの【「空襲の際に御真影を取り出そうとして死ぬ校長」というステレオタイプの起源が気になる】ということが私も気になり、少し検索してみた。そしたら・・・

【敗戦色が濃くなるとともに、教育勅語に述べられた内容が強化され、生徒には画一化と服従性が求められた。各学校では御真影として天皇の写真が掲げられ、御真影と教育勅語は火事の際に何よりも第1にこれを持ちだすなど細心の注意が要求された。】

【心理科学研究会(1993)中学・高校教師のための教育心理学 有斐閣 第一版】より

と記された文章を見つけた。


起源はよく分からぬが、戦後には「何は無くとも、火事の際に御真影を持ち出せ」という話が多く出ていたことは間違いなかろう。

だから、【心理科学研究会(1993)中学・高校教師のための教育心理学 有斐閣 第一版】という書物の中でも記されているのだろう・・・と勝手に推測する。

というか、ネットという道具が普及するまでは、新聞テレビまたは新聞テレビが重宝している識者?なる方々の話が、それこそ「ステレオタイプ」として流布され、その流布されたことを普通の人々は信じたのである。

挙句、ある時期からの学校等の教育現場では「過去を否定する」という授業が当たり前だったから、新聞テレビや新聞テレビ等に重宝されている識者?なる方々の無責任すぎる話の裏付けとなってしまったのだろう・・とこれも勝手に推測する。


●この作業には実際たくさんの思考が必要となる。
通常荷物、到着荷物、接続荷物、国際線荷物に分けられ、都市コード別にラベルされている。どの都市のが自分の担当か把握していなくてはならない。別々の車に載せられ空港別の場所へと運搬される。
荷物を横に押している人は、全てのタグを見てどの車へ入れるかしっかり考えなくちゃいけない。間違うごとにフライトの遅延が発生するからである。



●冬を日本で過ごしたが、彼らは文字通り、最も親切で礼儀正しい人々だったよ!
仕事にちゃんと誇りを持っている。

【日本の空港の荷物の扱いを見て驚く外国人…その理由がこちら】より



バカな新聞テレビ?そして政府?JOC?等々が、気張って「おもてなし」と大騒ぎし、そのことを押し付けるが、日本で普通のことを普通にやりゃ良いだけなのである。


ずいぶん以前に【真の保守とは・・・】と題するエントリをアップしたことがある。

そこで記したこと、いや正確には「引用した文」を再度アップしてみる。



塩野七生著『サイレント・マイノリティ』の中から真の保守とは・・・より抜粋引用。
 

 一、真の保守主義者とは、量より質に重きを置く人である。また、認識は軽視しないが、それが原則をともなわない場合は価値のないことを知っている。そして、時には後退も辞さない。なぜならば、前進には時として、いったん後退してから行うほうが効果があるのを熟知しているからだ。

 二、真の保守主義者とは、まず、いわゆる保守反動や伝統主義者や回顧主義者と区別されねばならない。保守主義者は、普遍的な原則からのがれないとはいえ、新しき課題には新しき回答が必要であることを知っているからである。彼らはただ、失敗した経験を何度もくり返す愚を犯したくないがために、過去を、つまり歴史を軽視しないのである。

 三、真の保守主義者は、自分たちが「明日の人間」にならなくても、「明後日の人間」になることを確信している。明日の人が失敗に終わった後にはじめて理解される、明後日の人間であることを理解している。

 四、保守主義者は、新しきものに反対なのではない。ただ、新しきものなら何でもかんでもかまわず持ち上げる人々の、無知には加担したくないだけなのだ。

 五、真の保守派には、生まれながらにして、抽象的思考を受け容れず、経験からして理論一辺倒を好まず、終生、刹那主義とは無縁である人々が多い。

 六、保守主義者にとっての社会の自然な諸要素とは、私有財産、家族、国家、宗教である。

 七、真の保守主義者は、責任の観念をことのほか重視する。

 八、彼らは、また、人間は地球上に現れて以来、環境改善につくした努力では、本質的にいつの時代も変わっていないと思っている。だから、この種の改革は、それら一つ一つを集め忍耐強く前に進ませるしかないのだと確信してもいる。

 九、保守主義者といえども、政治上の変革を認めるにやぶさかではない。ただ、その変革が、慎重に平静に、階段を一つ一つ登るように為されるのを望むだけなのだ。

 十、保守主義者は、世界中からの貧困や文盲や飢餓の追放は、少しずつ根気良く、一国ずつ手をつけるべき課題だと思っている。

 十一、真の保守は、いつの日か必ず革新が、保守と化すことを確信している。

 十二、保守主義者は、社会の一部の人々の貧困と不成功が、社会組織の欠陥に必ずしも由来するとはかぎらないことを知っている。そして、それの改善は、ハンディを持つ人たちにもう一度機会を与える制度、つまり敗者復活戦的な制度で解決するほうが、社会組織の全般的な改革よりも有効である事実にも盲ではない。

 十三、保守主義者は、長期にわたって社会で通用してきた制度は、それなりの理由をそなえていると思っている。だから、長く続いたからという理由だけで、改めることはしない。

 十四、保守主義者は、登場するやたちまち大衆から大好評で迎えられる新人を信用しない。

 十五、保守主義者は、共同体の重要な目標を、その構成員たちの習慣や風俗の特質を守ることにあると考えている。そして、もしも必要ならば、民俗や宗教も守らなければならない。なぜなら、個々の構成員の力をより効率的により引き出し、共同体全体の力の向上を期すには、最も有効と思っているからだ。

 十六、真の保守主義者が一組織や一制度の変革に慎重であるのは、社会の中の歯車は、互いに調和を保って機能されねばならないと思っているからである。

 十七、真の保守は、改革しないほうがよいことは、改革すべきでないと確信している。

 十八、保守主義者は、共同体のたゆみない前進のためには、優れている者と劣る者、健康者と病人、積極的である者と消極的な者などを一緒にせず、分離するしかないと思っている。

 十九、人間は、健康面でも年齢でも、また性別でも外貌でも、そして教育でも才能でも力でも勇気でも、さらに意思でも正直さでもその他あらゆる面で平等でないと、保守主義者は信じている。運命だって、すべての人々に平等ではない。そして、この真実を無視する社会は、遠からず自ら墓穴を掘る結果に終わることも知っている。

 二十、真の保守主義者ならば、国家の権力が増大しすぎることを、絶対に喜ばない。国家が、人々のすべてを管理するような事態は、それが福祉であっても喜ばない。なぜなら、帰着するところは、非能率の一事だけだからである。

 二十一、真の保守ならば、富の少数の者への過度な集中も、多数の者の過度な貧困も、ともに社会危険と判断するはずである。そして、富みすぎる者や貧しすぎる者を制して社会を調和に導く、広い中間層の育成と保護を重視するはずなのだ。

 二十二、保守主義者は、個々の人々の持つ密かな欲望、より良い地位と環境を望む欲望を、国家の与える安易な対策よりは信頼している。

 二十三、真の保守主義者は、個人の自由が、発明や進歩や発見の素地であることを知っている。だが、また、弱者に対しては残酷な結果をもたらすこともあるのを知っている。とはいえ、この種の自由が有害なものに一変する時期を知らせてくれる、計器はどこにもない。ただただ彼らは、個人の自由を「権利」としてではなく、「義務」と考えることで、その時期を見計ろうと務めているだけなのだ。

 二十四、保守を認じていても、歴史が同じ形では二度とくり返さないことは知っている。また、誰一人として、自分自身の能力を越えるものは、歴史から学ぶことはできないのも知っている。しかし、歴史はわれわれに、知ってさえいたならば未然に防げたにちがいない数々の前例を示してくれるのも事実なのだ。一方、「革新」は、歴史は自分たちが創ると思っているから、歴史を軽視する。

 二十五、保守主義者は、官僚制度の膨張、自国の防衛を他国に頼ること、長期にわたる重税、平価の切り下げなどが、常に社会の衰退のはじまりであったことを知っている。そして、民族の独立の終わりであったことも知っている。

 二十六、真の保守主義者ならば、富が才能の代わりにならないことを、かといって貧困がメリットにならないことも知っている。そして、良き社会とは所詮、より積極的な者がより正直である者が、また、より智恵のある者がより才能ある者が、指導的な立場についている社会を指すのだということを熟知しているのだ。

 二十七、保守と認じている人々は総じて、人間一般に対してペシミストである。人間は皆、生れる時は善人で、悪人は社会の所産であることも思っていないし、善人もまた、何の努力をしないでも一生善人であり続けるとも思っていない。善であることは、言い換えれば悪に染まらないことは、ほんのちょっとした個人の意志によることが多いと知っているからである。

 二十八、真の保守は、国家を愛する気持ちも義務の観念も、そして、人間的なるものへの尊重の気持ちも、少数の者のみが持つ「徳」でしかないことを理解している。

 二十九、保守主義者は、少数の者による支配も多数による支配も、いずれも多少の疑惑なしには眺めることができない。

 三十、有権者一人一人は、自分の町や村の政治には、だいたいからして相当に直接な判断をくだせる。なぜなら、この場合、近い視点からの分析だけで充分だからだ。しかし、都道府県の規模になると、「一市民の視点」だけでは、もはや充分とはいえなくなる。ましてや国家の政治となれば、完全にお手あげのはずだが、普通、一般の人々は認めようとはしない。彼らは、一市町村を眺め判断するのと同じ視点で、しばしば、国の外交まで一刀両断してしまう。
 政治のプロとは、一市民の視点と統治者の視点の双方を持ち、それらをケース・バイ・ケースでバランスを保ちながら使いこなせる人をいう。真の保守主義者は、国家の政治外交を、このようなプロにまかせるべきだと信じている。
 しかし、これを考えをともにしない人々がいつの世にも存在したのも、いや数では多く存在したのも事実である。ゆえに保守主義者は、普通選挙に疑いをいだき続けている。

 三十一、保守主義者は概して、外国崇拝や異国趣味を排する。なぜなら、これらの傾向こそ、国民の廃頽の兆候だと思っているからだ。ソ連や中国の支配者たちも、完全にこの意見に同調してくれるであろう。

 三十二、保守的立場からしても、言論の自由は絶対に守られねばならないことは同じである。ただ、この自由の駆使は、常に社会への「責任」と裏腹でなければならないとも信じている。

 三十三、保守主義者も、個人の自由の尊厳が、社会生活の活力を生み出す貴重な「泉」であることを知っている。しかし、これは、個人の「権利」というよりも国家からの「払い下げ」と考えるべきだとも思っている。

 三十四、真の保守主義者は、人間の考え出したすべての制度が、完璧どころか不完全ばかりであるのを知っている。だが、同時に、完全無欠な制度など、神であっても創り出せないことも知っている。だから、「無いよりもマシ」という視点が、意外と進歩に貢献しているのだと考えることができるのだ。

 

 ここに紹介した「保守の定義」なるものも、あるものは賛成だが、その他のものは、完全に受け容れるにはなんとなく釈然としない。

 こうなると、これまで軽蔑してきたゴマンとある女性雑誌にならば必ず載っている、性格判断とか傾向判断とかも、軽蔑どころではなくなってきている。あの式を使うと、妥当と思うものに〇をつけ、その数がいくつ以上だと、超保守、いくつからいくつまでの間だと、穏健な保守、いくつ以下だと、穏健な革新、それ以下だと、もう過激な革新と分けられるではないか。ただし、過激な保守がどのあたりに位置を占めるのかは、私にはまったくわからない。

~引用終わり~

箇条書きになっている部分は、塩野氏が引用したジュゼッペ・プレッツォリーニという人が記した「保守の定義」という文章であり塩野氏の考えではない。

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さて、如何であろうか?



京都大会は午前に2試合を開始し、暑さの厳しい昼間に休憩を設定。第3試合は午後4時ごろ始まった。第4試合は延長十一回の熱戦で終了時間が午後10時37分と遅くなったが、竹中事務局長は「(選手や観客の)命と(進行の遅れを)天秤にかけたら、試合を分ける方に賛成」と話した。

今夏の甲子園大会はチケット販売やテレビ中継局の準備が進み、日程や時間の変更は難しいという。ただ、竹中事務局長は「『おいおい考えましょう』という段階ではない。現実的な選択肢の一つ」と述べ、早急な議論の必要性を訴えた。

【高校野球京都大会、ナイター開催は「英断」…日本高野連が猛暑対策支持】より


やればできんじゃん、である。

しかし引用記事にも記されているが、テレビ放送というのが全てにおいて「最優先」であることがわかる。

まあ、引用記事では「高野連」を前面に出しているが、この野球大会の主催者は「朝日新聞」とその系列テレビ放送局と、何と言っても最大の支援者「NHK」である。

これらの新聞テレビメディアは、何かと言えば必ず、人命が〜、と大騒ぎするのだけど、実際は違うことが、この様なことからもよ〜く分かる。

で、高野連も確か・・・「高校野球大会・甲子園大会」は教育の一環、と掲げていたよね?

その場に、新聞テレビの商売優先の考え方を推し進めるちゃ、どういうことかね?

いや、高野連も言っていることとやっていることが違いすぎませんかね?


つまりはこの状態なんですよね😢

このリンク先にて、Tweetに添付されている「画像(漫画)」をご覧いただきたい。


で、

29歳のエジル、ドイツ代表引退 トルコ系、差別理由に


ということが日本でも?話題になり、色々と意見がある様ですが・・・


エジル選手は民主主義を踏みにじる“独裁者”エルドアン大統領のプロパガンダに協力したからこそ叩かれたのです。人種差別は関係ありません。
もしドイツが人種差別大国だとしたら、どうして彼はここで1億ユーロ以上も稼げたのですか。
#エジル
https://twitter.com/cyan112/status/1021473803338178562


このTweetは、非常に鋭いことを指摘している、と思いますよ。


元村有希子「国民の諦めと失望を安倍政権が喜んでる!前を向いて変えていかないと本当に危ない!」

毎日新聞の元村は安倍内閣支持者は国民ではないとでも思っているのでしょうか?
そもそも本当に国民が諦めと失望をしてたら立憲民主党などの野党の支持率はもっと高い筈では?
#サンデーモーニング


この引用Tweetは、TBS放送番組の「サンデーモーニング」の中で言われたことなのだそうだ。

まあ、今更「サンデーモーニング」という番組、そしてTBS等に代表される既存のテレビ放送局のスタンス等々を記しても仕方がないのであるが・・・

ただね、以前も記しているが、放送法という法律を蔑ろにしていながら、「それでは放送法を改正しようではないか?」という声が出ると、放送法を改正するな!今までの放送法で我々を守れ!!放送法で守られながら好き勝手なことをさせてもらう!!等々・・・大騒ぎするから呆れるのである。

しかしそれ以上に、中小企業等の「協同組合」、JA・農協等々を「絶対の悪」として散々叩いておきながら、自分たち既存のテレビ事業主たちは微温湯に浸かり、無責任なことを公共電波を悪用し垂れ流し、自分たち既存のテレビ事業主たちの権益だけは死守する姿勢は・・・醜い!!



我が在所も「猛暑の夏」という例に漏れず、連日30度を超える気温。中でも、今月7月15日と7月20日の最高気温は36.9度を観測。

しかし、その風向は「北寄りの風」が連日吹いている。

そのためなのか?まだ熱帯夜という夜はない。

で、この様な暑さで思い出したのだが、秋彼岸の頃であろうか?随分大昔になるが、仕事で1週間ばかり広島市に滞在することとなった時がある。

その時期の我が在所も、「残暑厳しきおり」であったのであるが、朝夕・朝晩は涼しいという気温。快適な夜の睡眠ができた。しかし広島市は・・・残暑の厳しさに加え、熱帯夜が続いており、夜の食事の時に街中を歩いていてその蒸し暑さに辟易したものであるし、彼岸の頃だというのに一度も朝の爽やかさ、という気温にならなかった記憶があって、海に面している割に、この暑さは何だ!?と驚いたことがある。


ちなみに、我が在所の本日の最高気温・・ただし、12:58分時に観測・・・は、34.9度。

連日の暑さに慣れたためか?それとも、北寄りの風が5メートルから8メートルの間の風速で吹いているためか?この気温ならば、過ごしやすく感じる。