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この新聞切り抜きの画像に記されている事を「頓珍漢」というのではなかろうか?

イメージ取り込み 1799 


民族の言語というか、言葉というものを「残そう」「後世に」という考えは、ある意味「賛同する」ものであるが、それが「公用語」となると、大いなる疑問がある。

この様に申し上げると、本当に申し訳ない言い方になるのだが・・・その言語には「文字」はあるのであろうか?

公用語にする、というのだから、公的な「標識」「案内板」等々、または「配布する公文書」に、その言語を記さねばなるまい。その文字はどうするのだ?

そして、北海道に限らず、日本全国で「日本語」以外での「表記・併記」というモノが推奨されているが、日本語と英語での併記までならば、我々日本人も、多分海外から来られた方も混乱はない。しかし、何ヶ国語も併記されると・・・「案内板」の本来のことから外れてしまい、ただ混乱するだけでは?と思う。ましてや「公道の道路案内」に何ヶ国語も併記されると、車のドライバーが事故を起こすのでは?と思ってしまう。

この様な状態に、文字がない?・・失礼、言語の表記まで併記されたら、瞬時の判読なんてできやしないであろう。


なお、Wikiではあるが、次の様に記されている。


文字による記録
アイヌ語は漢字が伝わる前の日本語と同様、口承のみによって受け継がれてきた。そのため文字による古い記録は、ヨーロッパ人や和人によって書かれたものが残されている。


確かに「漢字が伝わる前の日本語も口承のみ」だったろう。しかし、その時間が違うと思う。

現代日本語につながる大昔の「日本語」は、漢字を得てから「言葉」「語彙」そして「文字」が独自にかつ時間をけけて発展して来たもので、「昔の日本語も口承だったじゃないか」と安易には言えないのだ。もう少し言えば、自分たちの言葉を文字にする術が、考え方が、いわゆる「少数民族」とか、「先住民族???」とか呼ばれる方々はなかった、しかし「日本にはあった」と言えるのである。

この差は本当に大きいのである。


学者ならば、何故言葉を「文字」にできなかったのか?その差はなんなのか?を研究すべき。




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