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阪神・淡路大震災から21年 各地で追悼
1月17日 7時29分

6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から17日で21年になり、神戸市など被災した地域では、地震が起きた午前5時46分に合わせて犠牲者に黙とうをささげました。
このうち神戸市中央区の「東遊園地」では、竹の灯ろうが地震が起きた日付けの「1.17」と、ことし新たに加えられた「未来」という文字の形に並べられ、火がともされました。
遺族や被災した人たちは、地震が起きた午前5時46分に合わせて黙とうを行い犠牲者に祈りをささげました。敷地内にある慰霊碑の前では神戸市が主催する追悼の集いが行われ、当時45歳の母親を亡くした神戸市東灘区の山本広美さん(42)が「21年がたっても、悲しみや寂しさは震災当時と変わりません。多くの人に震災を忘れて欲しくないという思いと、大好きな母がこの世で生きていたことを伝えていきたい」と語りました。
17日は各地で市民による追悼式や防災訓練など、およそ60の行事が行われることになっています。こうした行事は震災から20年の去年など節目の年には100を超えましたが、ことしは去年の半数近くに減り、この10年余りでもっとも少なくなりました。
背景には、支えてきた市民やボランティアの減少、高齢化によって、あとを継ぐ人材が確保できなくなり、活動をやめたり縮小したりせざるをえなくなっていることがあります。
いかに継続して被災した人たちを支え、震災の記憶や教訓を未来につないでいくのか、改めて考える1日になります。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160117/k10010374651000.html


本日は、阪神・淡路大震災から21年。

この大震災が発生した時の記憶は、未だに鮮明にある。

あの日、あの当時は「成人の日」が「1月15日」であったこともあり、この大災害が発生した日は、その成人の日が「日曜」であり、その翌日「16日」はそのための振り替え休日であったので、17日は火曜であったと記憶している。

発生前日の16日夜、私は富士宮市に向けてトラックを発車させていた。早朝、夜も明けきらない時間帯に目的地に到着し、荷下し時間まで仮眠を取る。荷物は「危険物」であったし、荷下し先のお客様も「危険物」を取り扱う工場であった。そのために、全ての荷下しが終わりその工場から出るまで、カーラジオをつけていなかったと記憶している。そのために、地震発生を知るのは・・・午前9時すぎか、午前10時くらいだった。

「何の話をしているのだろう?」ラジオから聴こえてくる話からはそんな印象があった。

「ビルが倒れている」「高速道の高架橋が折れて曲がっている」・・・・という話がラジオから流れてきても?????であった。

その凄まじい光景をテレビから見るまでは・・・

この地震発生後、我々は「救援物資輸送」というのにも携わっていくし、鉄道網、道路網が寸断されたために、日本海側を通って、神戸から先へ荷物を頻繁に運ぶようになる。

さて、話は変わる。

引用記事を読んで、私自身も先の「東日本大震災」での「被災者?」に一応なるので、阪神大震災の教訓を後世に残す、という考えを否定はしない。まさしく「これからの課題」であろう。

しかし、引用記事を読むと「この記事は、震災や災害というところを戦争に書き換えると・・・」と思う。

ハッキリ書こう。日本の報道スタンスじゃ、教訓を残せない、と思うのだ。

過去の戦争に関する「ただただ悲惨だ〜」「日本は未来永劫償え〜」と同じ、報道する側の「腐臭」が漂っているのだ。

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