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Flowers Timelapse from Katka Pruskova on Vimeo.

 

所謂「微速度撮影」と言われるモノで撮影した動画だそうです。

 

この様な映像は、その昔大変なことをして、まさしく「プロ」しか撮影出来ないものでしたが・・・(この動画を撮影した人はプロの様ですが)・・・市販されている、少し背伸びすれば誰もが購入出来るデジタルカメラで撮影出来るのですから、凄い時代になったな〜、とつくづく思いますね。

 

もう少し大きな動画サイズで見てみたいと思う方は、リンク先で見て下さい。

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規制強化で起こる混乱
 
一連の混乱をよく表す例として2012年12月、英国で原子力産業の検査官を長年務めていたある人物から、多くの人に送られた電子メールがある。それで次のようなことが書いてあった。
 
「放射線防護の強化で施設従業員の悪影響は二つあります。一つは放射線防護への懸念が労働安全性の配慮を上回ることです。一例として、比較的高温の環境下において我々4人は鉛ジャケットにプラスティック裏地のタイヴェック・スーツで作業をしていました。放射線の危険は取るに足らないものでしたが、我々のうち二人はいきつくのが難しい場所で暑さにより気絶しそうになりました。
 
次の例は、壁にとりつけられたはしごを登るスタッフがいましたが、はしごの段には足を置く場所がほとんどなかったのです。彼らはスチールのつま先のついた靴を履くことが義務付けられていましたが、それは内側がゴムで“フリーサイズ”となり、更に紙のブーツを履くものでした。余分の一枚は汚染管理の名の下ですが、私は、8メートル下の配管の上に落ちてしまうことの方がはるかに心配です。
 
二つ目の問題は、心理的ストレスの増大です。検査スタッフを心配させてしまい、仕事ができなくなっています。ある作業で、放射線防護スタッフとの協議の上、検査スタッフに仕事をしてもらうことを納得してもらいました。その仕事の被曝量は規則で認められている許容線量のわずか4%にすぎなかったのです。放射線を増やさない努力を増やしているにもかかわらず、原発に関係する作業員が低線量の被曝を心配するようになっています。
 
ALARAの原則は、遂行するすべての組織において生産性を下げ、ストレスレベルを上げています。これによって、原子力産業すべてが止まりかねません。これを防ぐのは難しいですが、私は頑張ります」。
 
この証言は、不安を和らげるために意図された安全上の制限が、全く正反対の効果をもたらしてしまっていることをあらわしている。労働者への放射線規制と個人的なストレスは組み合わさってコストを吊り上げ、専門家たちのモチベーションを削いでしまう。これらは何のメリットをもたらすことなく、経済的に有害である。
 
「科学は熱狂と迷信に対する偉大な解毒剤だ」— アダム・スミス
 
原子力は欠点を持っていないエネルギーである。誤解という束縛やALARAに誘導される規制から解放されれば、それは安価で、その廃棄物も大きな問題とはならないだろう。
 
バイオあるいは化石燃料廃棄物と異なり、核廃棄物は揮発性がなくまた環境中に放出されない。その性質上、核反応は「野火のように広がる」ものではなく、またバイオ廃棄物のように病気が伝播することもない。核廃棄物は有害化学廃棄物のようにいつまでも影響が残ることはない。
 
同量のエネルギー生産のための核廃棄物は化石燃料のそれの1万分の1程度であり、一度冷却分離されれば、単に数百年埋めるだけで、安全に廃棄することができる。実際のところ原子力を中止させる議論と比べれば、その危険性に注目して火力発電の使用を中止する議論の方に正当性があるほどだ。
 
洞穴で暮らしていた人類の先祖のなかで、安全性に配慮して火の使用に反対し、調理されない食物と寒さと湿気の悲惨な生活に戻った火の使用の慎重がいたとしたら、それは大きなミスを犯しており、おそらく結果として滅んだであろう。今日の議論において原子力に反対の論陣を張る人は、科学的に擁護できる強い根拠をもっていない。
 
ICRPによる極端に保守的な勧告のみが、ALARAを原子力安全のための原則として支持しつづけている。しかし現在はその信憑性が疑われているにもかかわらず、官僚的な構造の放射線防護体制の基準になっている。現在の「安全」基準は、科学の根拠のないものであり、「中世的」な放射線への恐怖から生まれた。
 
不合理な規制の実施に費やされる資金かつ状況を説明するが公教育に再配分されれば、公共の安全基準は、完全に安全に、現在の年間1ミリシーベルトから毎月100ミリシーベルトに緩和することができるだろう。(注9)社会は、恐れも二酸化炭素もない、安価な原子力エネルギーの恩恵を享受することができるのだ。
 
しかし、どの政府もまだこの当たり前のことを行う自信を持っておらず、代わりに段階的に完全に原子力発電を廃止するか原子力を不合理に高価なものとするまったく不必要な追加の「安全」対策を計画、あるいは大気への影響が石炭よりも少しだけ少ない天然ガスに頼っている。
 
これは狂気と言えよう。気候変動の影響が顕著な百年後を迎えるであろうときに、人類の文明がそれを切り抜ける可能性は下がっている。私たちは科学的な判断をすることで、より適切にこれを切り抜けることができる可能性がある。残念なことに、大きな虚偽が国際的に定着し、いくつかの専門分野にまたがっている場合には、それを是正することが困難である。
 
一般的に権力の座にあるものは科学を理解していない。しかし、新たな繁栄は、過去でもそうであったように科学にかかっている。最初にALARLAの遺物を破棄し、適切な安全性をもった安価な原子力技術を取り入れる国は大きな報酬を手にするだろう。
 
放射線は電源としてだけでなく、この技術は、淡水化により無限の真水、冷凍することなく放射線照射による無害な方法で安いコストで食物保存もできる。
 
世界はこうした機会を必要としているのに、ALARAの考え方が立ちはだかっている。経済学者のアダム・スミスは「科学は熱狂と迷信に対する偉大な解毒剤だ」と述べているが、原子力への恐怖はそのような迷信であり、厄払いの機が熟したのだ。
 
(注9)この議論は、アリソン氏の著書「Radiation and Reason」 (2009)(邦訳は徳間書店)で展開されている。
 
(2013年1月7日掲載)
 
詳しいことはリンク先をご覧ください。
 
なお、引用文には「経済学者のアダム・スミスは」と記されているが、アダム・スミスは「経済学者であり神学者、哲学者であった」と言うのが本当のところである。