※ 菅首相が介入、原発事故の混乱拡大…民間事故調
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120227-OYT1T00920.htm?from=main3
*パニックと極度の情報錯綜 「やめた方がいいですよ」 枝野氏は菅首相にダメ出していたが…
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120228/plc12022800190001-n1.htm
 
 産経記事は阿比留記者だという部分を差し引いて読むべきですが、この件に関して、イラ菅の反省は一切聞かれないし、今後、どうやってその手の暴走を阻止するか? に関しても、制度的な枠組みを作る必要があるでしょう。
 たとえば、官房長官と主要閣僚の2/3が賛成したら、総理大臣の権能を誰かが代替できる等の緊急措置を国家の危機管理法として策定する必要がある。
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ある小説家の方のブログに記述されていたモノなんですが・・・・
 
商業作家センセイと言うのは、可もなく不可もなく、と言うことを書かざる得ない立場ですからこの様なモノでしょうが、それにしても視点がズレいる、と言わざるを得ません。
 
あのカンの暴走は、制度とか法律以前の話です。政治家として事実上の日本の統治者としての資質の問題です。
 
そして引用した様な考え方と言いますか、意見がテレビでは大半を占めている様で、あの原発事故の民間事故調査なるところが公表した「事故調査報告書」に関してテレビは、必ず「過去の政権が〜」と「自民悪し」を付け加え、引用文と同じ様に「制度が〜」と言います。
 
原発事故対応の指揮命令系統―法律も想定もなし
   報告書は産経は1面のほか4ページにわたって展開しているが、朝日新聞は5面に3段の記事1本だけで、 東電の怠慢や規制のあり方が主。菅の話はまったく出ていない。
   司会の小倉智昭「東電が原発から撤退したいというのを菅さんが一喝して、それがなかったらどうなっていたかということもある。原発事故の指揮命令系統は法律で決まっていたわけじゃないので、後になればいろいろ出てはきます よね」
   竹田圭吾(ニューズウィーク日本版編集主幹)「人災ではなくて、システムに問題があったと考えないといけない。例に挙げたやり取りも、言ってることは菅さんの方が筋が通っている。菅さんがリーダーシップを発揮してなかったらもっとひどいことになっていた。 だからこれを『暴走』とか『人災』とかいうのはバランスを欠く報道だ」
   小倉「有事の際の指揮命令系統についての法案も出ていたが、小泉さんの郵政解散で飛んじゃって、そのまま。また何かあると困りますよね」
   本当のリーダーシップは、何もないところでこそ発揮されるものだろうが、そんなスーパーマンは見当たらない。
 
テレビに出ている自称知識人なる方々がこんな考えだから、危機に際してヘンテコリンな事をするバカが国家の最高指導者、責任者に成ってしまうのです。
 
何度も引用していますが、
 
【脇委員長が指摘した中で特に重要なのが、昨年10月に実施された「原子力総合防災訓練」について、菅首相がまったく記憶していなかったことだ。この訓練は原子力災害対策特別措置法に基づいて行われるもので、毎年災害想定現場と首相官邸をテレビ電話等で接続して臨場感あふれる形で行われる。私も首相補佐官をしていた平成18年10月にも伊方原発の冷却水系統の異常を想定した訓練が行われたことをよく記憶している。昨年の10月には菅首相も出席した上で「浜岡原発で原子炉を冷却する手段が完全に失われた」という福島第一原発で現在進行中の事態とほぼ同じ想定で行われた。そして菅首相自身が「原子力緊急事態」を宣言しているのである。そのことを全く記憶していないという。何のための訓練だったのか?
 
 さらに法律はこの訓練のフィードバックを行うことを規定しており、対処上の問題点が発生した場合には改善するよう求めている。しかし、昨年10月の訓練の報告書すらまだまとまっていないということも判明した。こういう一連の原子力災害を甘く見ているような政権の姿勢が今回の事態を悪化させているといっても過言ではあるまい。
 
また原子力災害対策特別措置法は官邸に対策本部を置くと同時に、現場に近いロケーションに「現地対策本部」をおくことを規定しており、その現地対策本部長には広範にわたって首相(本部長)の権限を委譲できるようにしている。これは事故が起こっている現場の近くに権限を集中し、指揮を執らせた方が効率的だとの想定に基づいている。しかし菅内閣では発災後、現地対策本部に複数の副大臣、政務官を日替わりで詰めさせていたことも判明した。これでは現地で強力な指揮など執れようわけがない。】
 
と言うことで、原発事故・災害に関しての制度もシステムも生きていましたが、その制度とシステムを活かし切れるかどうかは、権限を持つ立場にある人間の資質によるものであるかが分かります。カンは勿論ミンスが政治のド素人集団、無能無責任集団である事が分かります。
 
普通あり得んでしょう?事故発生のほんの少し前に「原子力総合防災訓練」というのを行い、その訓練にカンを始めとした関係閣僚が参加していたんですよ?これで「制度に問題がある、システム上の問題だ」と言えますか?この訓練をカンを始めとした関係閣僚、ミンス党はすっかり忘れた、と言うことでしょう?訓練を活かしていないと言うことでしょう?そして制度を換えたとして、またカンの様なバカが総理になったらどうします?抑え切れるんですか?詭弁は止めましょうや。マスゴミはミンスを後押しした、カンを後押しした責任逃れの詭弁は止めましょうや。ヘンな小細工をして国民の目をそらす事を止めましょうや。
 
われわれが求めているのは、政治のプロなんです。本当に責任を持って、国民の負託に応えられる仕事を行える政治のプロを求めているんです。マスゴミが垂れ流す情緒的な「タラ・レバ」は要らんのです。マスゴミが求める、大好きな「政治のド素人」「無能無責任な政治家擬き」は要らんのです。
 
そしてこれも何度も引用していますが、
 
塩野七生著 新潮文庫刊 『ローマ人の物語 悪名高き皇帝たち[三]』 より
 
【カバーの金貨について
 
 他の職業人に比べて政治家が非難されやすい理由の一つは、政治とは誰にでもやれることだという思いこみではないだろか。例えば、ピアノのコンクールでは、審査員は有名なピアニストが担当する。いかに音楽を愛していても、単なる愛好家には、票を投ずることは許されていない。それなのに政治となると、選挙では誰もが一票を投ずる資格をもつとされている。でないと、反民主的と非難される。ということは、民を主権者とする政体とは、政治のシロウトが政治のプロに評価を下すシステム、と言えないであろうか。
 となれば政治家にとっての死活問題は、政治のシロウトたちの支持を獲得することになる。知識はあっても政治を実際にやったことはないという点で、学者も評論家もメディアもシロウトに属す。政治家が挑戦すべきなのは、政治のプロとしての気概と技能は保持しながら同時にシロウトの支持を獲得するという、高等な技なのである。クラウディウス帝は、この放れ技に失敗したのだった。何によって?それは読んでお楽しみ、と言っておこう。】
 
と言うことであり、私も含めた多くの政治のド素人である有権者・・・当然その中にはマスゴミ人士、政治評論家・アナリストと称する方々、政治を大学で教えている学者も含まれるのです・・・が政治のプロを選ぶのが民主主義政体下の選挙です。そして政治のド素人がマスゴミの垂れ流す情緒たっぷりの情報に左右されて政治のド素人を選んだらどうなるか?と言うことが良く分かった事例が、ミンスによる一連の暴走政治です。
 
そして自民を弁護する訳ではないですが、何故「独裁」とまで揶揄された「長期自民政権」が続いたのか?何故「自民政権」時にこれだけの平和と繁栄を享受出来たのか?これを考えねば成りません。「冷戦下だったから」では済まない高度な政治が行われていた事は間違いないのですから・・・・
 

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ジビエ(イノシシ、シカ肉)で地域おこし
 和歌山県では、野生鳥獣による農作物被害が年々増加し深刻化しています。  農作物被害の軽減を目的として、イノシシやニホンジカの捕獲拡大に取り組んでいますが、県内に食肉処理する施設が少なく、また、その流通体制が整っていません。
 和歌山県は、捕獲したイノシシやシカを地域の貴重な資源として捉まえ、レストラン等での利活用や観光振興に活かすため、食材として利用するための「わかやまジビエ衛生管理ガイドライン」の制定や食肉処理施設の整備、食肉流通システムの整備を推進しています。
 
エゾシカの有効活用の取組
 
  エゾシカは、道東地方を中心に農林業被害額が急激に増加し、平成8年には50億円を超えるなど深刻な社会問題となり、現在でも年間30億円前後の被害が報告されています。
 道では、平成9年度以降「エゾシカ保護管理計画」に基づき、エゾシカの絶滅を回避しながら安定的な生息水準を確保するため、適正な保護管理に努めてきた結果、北海道の東部地域(道東4支庁)では平成10年度から3年ほど個体数が減少傾向を示したものの、その後は依然として大発生状況のまま横ばいで推移しています。一方、西部地域(道東4支庁以外の地域)での個体数は一貫して増加傾向を示すとともに、分布域も拡大しています。こうした中、現在の生息数は30~40万頭と推測されています。
   北海道を代表する動物のエゾシカですが、生息数の増加に伴い、農業被害、JR・交通事故、森林植生被害等を引き起こし、北海道にとってマイナス資源と捉えられている現状にあります。
 このように「マイナス資源」と見られがちなエゾシカですが、視点を変えると、北海道固有の魅力的な天然資源であるため、道では、エゾシカを有効に活用して「プラス資源」に転換することで、環境保全と経済活性化を図る取組を推進することとしました。つまり、有効活用することが、結果として個体数調整に貢献し、新たな地域産業の創出や地域振興に結びつくという考え方です。
  こうした中、道経済部では、エゾシカ肉の需要を拡大し、エゾシカの有効活用に取り組む事業者に対し需要確保の面で道筋をつけるために、平成18年度に「エゾシカ肉戦略商品開発支援事業」を実施いたしました。本事業は、エゾシカ肉を活用した新たな加工食品の開発を支援する取組と、東京でのエゾシカ料理試食会を柱とするエゾシカ肉のPR事業で構成されております。今後とも、エゾシカの有効活用を推進し、北海道ならではの食材としてのブランドの確立を図っていきます。さらに、平成19年度は、「エゾシカ肉普及促進事業」として、今後、一層の流通量の拡大が見込まれるエゾシカ肉等の供給から需要までを円滑に結びつけることを目的に、研究会議の開催、飲食店等での活用促進の取組を実施いたします。飲食店での取組として、11月1日から11月21日の期間に「エゾシカ料理まつりin札幌」を開催いたします。まつりの参加店は札幌市内の16店で、市内各区に参加店があります。(南区、北区、手稲区を除く)料理は、和洋中、ラーメン、パン屋等いろいろなメニューを用意しておりまので、是非この機会に、エゾシカ料理をご賞味していただきますようお願いいたします。
 
ジビエ(仏: gibier)とは、狩猟によって、食材として捕獲された野生の鳥獣である。主にフランス料理での用語。
本来はハンターが捕獲した完全に野生のもの(仏: sauvage、ソバージュ)を指すが、供給が安定しない、また入手困難で高価になってしまうといった理由で、飼育してから一定期間野に放ったり、また生きたまま捕獲して餌付けしたものもドゥミ・ソバージュ(仏: demi sauvage、半野生)と呼び、ジビエとして通している。
 
 
日本では「野生動物を保護しよう」または「愛玩動物を含め動物を愛護しよう」という事が盛んで、その為の法律も出来ましたが・・・
 
その主旨は概ね賛同します。が、日本人のイメージとして欧米先進国は「動物保護の観点からも進んでいる」とイメージしがちですが、案外野生動物を狩猟し獲物を食しているんですよね。多分、引用した和歌山や北海道じゃなくても、東京辺りでの「高級フランス料理店」と言われるところでも野生動物を食材として提供しているでしょう。
 
私はこの事を「良い」「悪い」と言いません。文化であり歴史ですからね。しかし動物保護と言うことが過度に成る過ぎると、それは「害」です。
 
同じ様に日本のクジラ文化を攻撃する事も同じで、もはや「害」です。家畜は良くて、クジラ以外の野生動物は良くて、クジラを捕獲し食する事は悪だ、なんて言う考えは、それこそ人間の身勝手です。

SPEEDI“存在も知らず”
2月28日 6時38分
 
去年3月の原発事故で、放射性物質の広がりを予測するシステム「SPEEDI」が住民の避難にいかされなかったことについて、菅前総理大臣ら、事故の対応を中心となって行った政治家たちが「所管する文部科学省などから説明を受けず、事故から数日たってもその存在すら知らなかった」と民間の事故調査委員会に対して証言していることが分かりました。
原子力事故が起きた際に放射性物質の拡散を予測するシステム「SPEEDI」は、開発・運用に120億円の費用が投じられながら、去年3月の原発事故で住民の避難に生かされず、政府の対応に批判が出ています。
これについて、28日に公表される民間事故調の報告書の中で、事故対応を中心になって行った菅前総理大臣ら5人の政治家が「所管する文部科学省などから説明がなく、事故から数日たってもその存在すら知らなかった」と証言していることが分かりました。
調査の対象となった5人のうち、当時の枝野官房長官と福山官房副長官は、2号機から大量の放射性物質が放出された去年3月15日ごろ、マスコミからの指摘で初めてSPEEDIの存在を知ったと話しているほか、当時の海江田経済産業大臣は「存在すら知らなかったので、データを早く持ってこいと言うことができなかった。本当にじくじたる思いだ」と述べたということです。
SPEEDIの説明がなかったことについて枝野前官房長官は「予測の計算に必要な放射性物質の放出に関する数値が得られなかったためデータの信頼性が低く、説明の必要はないと判断した」と文部科学省から報告を受けたと話しています。
これについて民間事故調は、28日公表する報告書で「SPEEDIは原発を立地する際、住民の安心を買うための『見せ玉』にすぎなかった」と厳しく批判したうえで「住民の被ばくの可能性を低減するため、最大限活用する姿勢が必要だった」と指摘しています。
また、災害時の情報発信に詳しい東京女子大学の広瀬弘忠名誉教授は「原子力災害が起きている最中に指揮官である官邸の政治家が存在さえ知らないというのは通常は考えられない。SPEEDIの存在を政治家に報告しなかった官僚も問題だが、官邸にも危機管理能力がなかったと言わざるをえない」と話しています。
 
昨日公表された原発事故の「民間事故調査委員会」というのですかね?の調査報告書がマスゴミを賑わせていますが、その中でNHKは非常に興味深い事を報じています。
 
 
原子力災害に関して現行法では次の様に明記しています。
 
●緊急事態判断基準(15条事態)
国は、原子力災害対策特別措置法第10条にもとづく原子力事業所からの通報後、引続き原子力事業所の状況、放射線量などに関する情報を入手し、原子力災害対策特別措置法第15条に該当するかどうかの判断を行う。また、該当すると判断した場合には、緊急事態宣言を発出し原子力災害対策本部を立ち上げる。
緊急事態判断基準(15条事態)は以下に示すとおりである。
原子力事業所または関係都道府県の放射線測定設備により、事業所境界付近で500μSv/hを検出した場合
排気筒など通常放出場所、管理区域以外の場所、輸送容器から1m離れた地点で、それぞれ通報事象の100倍の数値を検出した場合
臨界事故の発生
原子炉の運転中に非常用炉心冷却装置の作動を必要とする原子炉冷却材の喪失が発生した場合において、すべての非常用炉心冷却装置の作動に失敗すること、等
 
 
で、自民党世耕議員はご自身のブログで・・・
 
【脇委員長が指摘した中で特に重要なのが、昨年10月に実施された「原子力総合防災訓練」について、菅首相がまったく記憶していなかったことだ。この訓練は原子力災害対策特別措置法に基づいて行われるもので、毎年災害想定現場と首相官邸をテレビ電話等で接続して臨場感あふれる形で行われる。私も首相補佐官をしていた平成18年10月にも伊方原発の冷却水系統の異常を想定した訓練が行われたことをよく記憶している。昨年の10月には菅首相も出席した上で「浜岡原発で原子炉を冷却する手段が完全に失われた」という福島第一原発で現在進行中の事態とほぼ同じ想定で行われた。そして菅首相自身が「原子力緊急事態」を宣言しているのである。そのことを全く記憶していないという。何のための訓練だったのか?
 
 さらに法律はこの訓練のフィードバックを行うことを規定しており、対処上の問題点が発生した場合には改善するよう求めている。しかし、昨年10月の訓練の報告書すらまだまとまっていないということも判明した。こういう一連の原子力災害を甘く見ているような政権の姿勢が今回の事態を悪化させているといっても過言ではあるまい。
 
また原子力災害対策特別措置法は官邸に対策本部を置くと同時に、現場に近いロケーションに「現地対策本部」をおくことを規定しており、その現地対策本部長には広範にわたって首相(本部長)の権限を委譲できるようにしている。これは事故が起こっている現場の近くに権限を集中し、指揮を執らせた方が効率的だとの想定に基づいている。しかし菅内閣では発災後、現地対策本部に複数の副大臣、政務官を日替わりで詰めさせていたことも判明した。これでは現地で強力な指揮など執れようわけがない。】
 
と書いています。
 
要は、「SPEEDI」の存在を知らなかった、と言えないのです。
 
まあ、事故発生後、当時の内閣閣僚は口を揃えて「存在を知らなかった」と言い訳に終始していましたから、「今更」ではありますが、それでも「第三者」の目を通して「コイツら本当のバカ揃い」と言うことが明確に成った訳で、何度か書いてきましたが、当時の政権内閣、当然前政権を引き継いだ現内閣、及び与党民主党は犯罪と言って過言ではない事を行った、と観るべきでしょう。
 
そして、原子力災害・事故が発生した場合を想定して政府は、各省庁民間も含め対応訓練を行っているのですが、それを行っておきながら、必ず行わねばならない事すらも行っていなかった、と言えるのです。
 
何度も書きますが、もはやこれは「犯罪」です。指揮系統がドウタラ以前の話なのです。
 
ところが、この民間の事故調査報告書に関して、既存の大マスゴミは「ガラパゴス」だとか「形骸化していた」とカンは勿論ミンスを最終的には弁護する様な報じ方。特にテレビは最悪な様で、カンを擁護する擁護する・・・あの当時誰が最高責任者であったかも誤魔化して報じてやがる。

 sonoさんのエントリで「今日の宿題」と題されたエントリがあった。

http://sopnoraone-3.iza.ne.jp/blog/entry/2609470/

 
拝見してみると、「教育勅語」が記されている。sonoさんが言うには、それを読め、そして書かれていることを理解し「尊敬される国民になれ」と言うことらしい。
 
で、sonoさんの趣旨と話が離れるが、現代人にとって、これは現代人でなくてもか、私のような低学歴な市井に暮らす者にとって「文語体」と言うのは馴染みが無い。まず読めないし意味を理解することもできない。が、ルビ、読み方をカタカナ等で書いてあると、意味が分からなくても何とか読める。
 
何が言いたいかというと、意味が分からなくても「読める」と言うことが大事ということが言いたい。
 
私は子どものころ、所謂「問題児」であった。親が心配しお経を読ませたことがあった。お経も意味が分からないと、本当に何が書いてあるのか分からない。記されている漢字もどう読んでよいのか分からない。しかし現代に出版?されているお経というのは、良く出来ていて、漢字にルビが振られているのがある。多分、現代のお坊様たちも同じようなものを使用しているのではないだろうか?
 
ともかく理解は出来なくとも、ひらがな、カタカナが読めれば読める。そして声を出して、まさしく「読経」をしていると、知らぬうちに「読めなかった漢字」「書かれていることの大意」というのが、なんとなくではあるが頭に入ってくる。「門前の小僧」と言うわけではないが、読経することで、言葉、漢字を覚えてしまった、と言うことである。
 
この様な私の体験、経験から、「教育勅語」が良いとか悪いとかを別として、先人たちが残した素晴らしい遺産・財産が残っているのだから、それを声を出して読む。何度も何度も声を出し読み返す。しかも難しいといわれる「文語体」を読む。と言うことはもの凄く有意義である。
 
ちなみに「勉強」とは、つとめてしいる、と読むことが出来る。さあ読め。声を出して読め。
 
朕 惟 フニ我カ皇 祖皇 宗 國 ヲ肇 ムルコト宏 遠 ニ德 ヲ樹ツルコト深 厚 ナリ
チンオモうにワがコウソコウソウクニをハジむることコウエンにトクをタつることシンコウなり
 
我カ臣 民 克ク忠  ニ克ク孝 ニ億 兆  心  ヲ一 ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ
ワがシンミンヨくチュウにヨくコウにオクチョウココロをイツにしてヨヨソのビをナせるは
 
此レ我カ國 體 ノ精 華ニシテ教  育 ノ淵 源 亦 實 ニ此 ニ存 ス
コれワがコクタイのセイカにしてキョウイクのエンゲンマタジツにココにソンす
 
爾  臣 民 父母ニ孝 ニ兄 弟 ニ友 ニ夫 婦相 和シ朋 友 相 信 シ恭  儉 己 レヲ持シ
ナンジシンミンフボにコウにケイテイにユウにフウフアイワしホウユウアイシンじキョウケンオノれをジし
 
博 愛 衆  ニ及 ホシ學 ヲ修 メ業  ヲ習 ヒ以 テ智能 ヲ啓 發 シ德 器ヲ成  就 シ
ハクアイシュウにオヨボしガクをオサめギョウをナラいモッてチノウをケイハツしトクキをジョウジュし
 
進  テ公 益 ヲ廣 メ世 務ヲ開 キ常 ニ國 憲 ヲ重  シ國 法 ニ遵  ヒ
ススンでコウエキをヒロめセイムをヒラきツネにコクケンをオモンじコクホウにシタガい
 
一 旦 緩 急  アレハ義勇 公 ニ奉 シ以 テ天 壤  無窮  ノ皇 運 ヲ扶翼 スヘシ
イッタンカンキュウあればギユウコウにホウじモッてテンジョウムキュウのコウウンをフヨクすべし
 
是 ノ如 キハ獨 リ朕 カ忠  良  ノ臣 民 タルノミナラス
カクのゴトきはヒトりチンがチュウリョウのシンミンたるのみならず
 
又 以 テ爾  祖先 ノ遺風 ヲ顯 彰  スルニ足ラン
マタモッてナンジソセンのイフウをケンショウするにタらん
 
斯ノ道 ハ實 ニ我カ皇 祖皇 宗 ノ遺訓 ニシテ子孫 臣 民 ノ倶 ニ遵  守 スヘキ所
コのミチはジツにワがコウソコウソウのイクンにしてシソンシンミンのトモにジュンシュすべきトコロ
 
之 ヲ古今 ニ通 シテ謬  ラス之 ヲ中  外 ニ施  シテ悖 ラス
コレをココンにツウじてアヤマらずコレをチュウガイにホドコしてモトらず
 
朕 爾  臣 民 ト倶 ニ拳 々 服 膺 シテ咸 其 德 ヲ一 ニセンコトヲ庶 幾 フ
チンナンジシンミンとトモにケンケンフクヨウしてミナソノトクをイツにせんことをコイネガう
 
 明治二十三年十月三十日
 
 御 名 御 璽
 ギョメイギョジ
 
 

中国内モンゴル自治区ウダ区の炭鉱の火山灰の下から2億9800万年前の森がそっくりそのまま化石となって出土し世界中が腰を抜かしておりますが、その第一弾の写真が初公開となり、さらなる衝撃が走っています。
 
「泥炭形成の沼沢林の化石植物が極めて良い状態で保存されていること」が...わかりますわかります、とても3億年埋まってたとは思えません!
 
植物・木の全体像が発見されたことで、これまで公開となった再現図が事実に間違いないことが確認されたかたちですね。また、木や植物の群落が森の中に生えていた通りの配置で化石となって見つかったのはこれが初めて。
 
調査を率いる科学者が論文タイトルで「ペルム紀植生のポンペイ(Permian vegetational Pompeii)」とその特徴を表現したように、この森は火山噴火で丸ごと火山灰の下に埋まってしまったので、こんな良い状態で保存されていたんですね。
 
まさに「タイムカプセル」のような大発見だと、ペンシルバニア大学の古植物学者ハーマン・フェッファーコーン(Hermann Pfefferkorn)教授も興奮冷めやらぬ様子です。
 
と言うことで、次の画像がそうなのだそうですが・・・黒く成っている部分全体が化石群、化石そのものらしいです。
 
 
この様な話が好きな者に取っては、興奮する話です。
 
詳しい事は次のリンク先をご覧ください。ただし、英語表記です。
 

今放送中の大河ドラマ「平清盛」というのを、再放送でありますが、しかも番組最後の方をチラッと観ました。
 
ドラマの内容は良く分かりませんので割愛しますが、映像的なイメージとしては映画「羅生門」の真似ですな。で、そのドラマの中で「大笑い」してしまったシーンがありました、石造りの見事な橋が出ていたのです。当時あり得たのですかね?
 
まあ、現代日本では、時代考証を忠実に描ける様なロケ地は皆無に成りましたから、致し方が無い事なのかもしれませんが、でも映像を見ますと「意図的に」使っているんですよね。演出上の効果、雰囲気を狙ったモノでしょうが、それにしても安直。あれだけ「時代考証に忠実」なんて言っているのに・・・
 
 
『羅生門』(らしょうもん)は、1950年(昭和25年)に公開された日本映画である。
監督・黒澤明によるモノクロ映画の代表的作品。原作は芥川龍之介の短編小説 『藪の中』だが、同 『羅生門』にも題材を借りる。
 
羅生門』(らしょうもん)は、芥川龍之介の小説。『今昔物語集』の「羅城門登上層見死人盗人語第十八」を基に、「太刀帯陣売魚姫語第三十一」の内容を一部に交える形で書かれた作品である。羅生門とは、朱雀大路にある平安京の正門のことである。正しくは羅城門であるが、人間の生を意識してあえて「羅生門」にしたと考えられている。高校教科書などでも採用され、広く知名度がある。

今朝の朝食は「イングリッシュ・マフィン」と呼ばれるモノを食べたのね。ハンバーガーのバウンズを薄くした様なモノで、それを側面真ん中から割いて焼いて食べたのよ。
 
こんな感じのモノね。
 
 
で、疑問が・・・イングリッシュ・マフィンとパンケーキはどう違うの?と・・・で、調べてみた。
 
イングリッシュ・マフィン(米: English muffin )は丸い、酵母で発酵させたパンであり、コーンミール(トウモロコシ粉)がまぶされる。北アメリカ、イギリスの朝食で食べられ、他の塩分のある朝食メニューのベーコン、目玉焼き、ソーセージと共に食べられる。アメリカの菓子マフィンとは区別される。
 
ホットケーキ(米: hotcake)とは、小麦粉に卵やベーキングパウダー、砂糖、牛乳、水などを混ぜ、フライパンで両面を焼いた料理。
英語圏では主に「パンケーキ(pancake)」と呼び、厚みは薄いものが多いが、アメリカでは「ホットケーキ(hotcake)」などとも呼び、厚めのものが多い。パンケーキのパンは平鍋を意味する言葉であり(日本語にもなっているフライパンのパンの事。食品のパンは、ポルトガル語由来であり英語ではない)、平鍋で簡単に焼いて作る製法に由来する。
 
と言うことらしい。
 
で、この様なモノを食べながら、みそ汁も食べたのね。我ながら「やはり日本人なんだな〜」なんて思ったのでした。

紀元前4000年、最初の都市が西アジアに出現する。多くの人々が“ともに生きる”場所である都市を生み出した原動力は、分業だ。麦や羊などの原始貨幣を使って給料を支払うという分業システムが専門の職人を生みだし、技術革新を後押しするようになった。その革新によって生産が増え、都市はさらに繁栄していく。しかし、分業システムは必然的に格差を生み出す。長く平等至上主義を守ってきた人間社会は繁栄と引き替えに格差を受け入れたのだ。
ただその一方、格差を解消する模索もはじめていたことがメソポタミア文明の研究から浮かび上がっている。しかし、その模索はギリシャ時代に頓挫する。本格的な貨幣経済のはじまりが人々の欲望を煽り、格差を拡大させていったのだ。その代償は大きかった。欲望の果てに資源を使い尽くしたギリシャ文明は衰退の一途をたどっていくことになったのだ。
ギリシャ文明の運命は、現在、温暖化などの環境問題に直面している私たち自身の「祖型」ともいえる。貨幣システムの誕生と変遷のなか、都市を舞台にした人間の心の変遷をたどり、私たちのめざすべき未来を探る。
 
この引用文は【ヒューマン なぜ人間になれたのか第4集 そしてお金が生まれた】と題するNHK番組の「宣伝文句?」らしいのですが、これを読みましてね、何か違和感を覚えました。
 
特に・・・
 
【長く平等至上主義を守ってきた人間社会は繁栄と引き替えに格差を受け入れたのだ。
ただその一方、格差を解消する模索もはじめていたことがメソポタミア文明の研究から浮かび上がっている。しかし、その模索はギリシャ時代に頓挫する。本格的な貨幣経済のはじまりが人々の欲望を煽り、格差を拡大させていったのだ。その代償は大きかった。欲望の果てに資源を使い尽くしたギリシャ文明は衰退の一途をたどっていくことになったのだ。】
 
の部分に、制作サイドの決めつけがあるのでは?と感じるのであります。
 
確かに、この様なドキュメンタリー番組でも、ドキュメンタリー映画、書籍でも、制作者、作家の主観というのが入りますので、この様な番組も一つのモノの見方・解釈と言えるでしょう。しかし引用文を読むと「人間の欲望は絶対悪」と思えてしまいます。この様に言い切られると、もはや「公共放送」とか「公平、公正、客観性を掲げる放送」とは言えず、特定の思想信条の為の番組、宗教番組、しかも一神教的な思想・宗教番組としか言えなく成る様な気がします。
 
それでなくともNHKは、近現代史の歴史ドキュメンタリー番組は、偏り過ぎている、と言っても過言ではない番組が多く、何も予備知識が無い方が観れば番組で放送されている事は「絶対な真実」と刷り込まれてしまうからです。
 
そして最後に、【欲望を煽り、格差を拡大させていったのだ。その代償は大きかった。欲望の果てに資源を使い尽くしたギリシャ文明は衰退の一途をたどっていくことになったのだ】と言い切るけれど、ではなぜギリシャ哲学を始めとした優れた学問や文化が華開いたのだろう?
 

先ずは、貼付けた動画をご覧ください。

 

 

 

如何だったでしょう?

 

動画投稿者の動画説明?によりますと・・・http://www.youtube.com/watch?v=3uoZ35nEiJk&feature=youtu.be

 

大阪市は大阪都構想や市の直面する課題に対して特別顧問スタッフを募集、多くの応募があり現役の省庁職員からも多数応募があったようです。

今回は橋下市長の代理で古賀さん(大阪府市統合本部特別顧問)が国交省本田官房長へ出向等のお願いに来た模様です。

 

・・・と言うことらしいのですが、何だか既存の大マスゴミを通して報じられている事と違う。なにかヘンと思うのは私だけでしょうかね??

 

で、動画に出てくる元経産省官僚の「古賀茂明」さんですか?この方、頻繁にテレビ番組に出ている様ですが、マスゴミが持ち上げる人って要注意ですな。

 

 

 

この動画の車はトライアンフTriumph TR3 A)という車ね。トライアンフと言えば、今じゃバイクメーカーだけど、昔はこんな車も造っていたのですよ。

 

で、当時を代表する英国製ライトウエイトスポーツカー(トライアンフ等)を真似た、という訳ではないのだろうけど、かつて日本ではこんな車も造っていたんですね。

 

 

昔のヤンチャな人は、この様な止まらない、曲がらない、車に乗って車の運転を覚えた・・・当然、メーカーも当時の世界的有名なメーカーや車に追いつけだった。