君が代起立判決 現場での運用は柔軟に
 
 学校行事の君が代斉唱時に起立を命じた校長の職務命令は、「思想・良心の自由」を保障した憲法19条に違反しないと、最高裁が初めての判断を示した。卒業式の君が代斉唱で起立しなかったことを理由に、定年後の再雇用を拒否された東京都立高校の元教諭が損害賠償などを求め訴えていた裁判だ。
 
 公立学校の教職員に対する君が代斉唱・起立をめぐっては、基本的人権としての19条と、「全体の奉仕者」として上司の命令に従わなければならない地方公務員の立場のどちらに重きを置くかにより、司法判断が分かれてきた。
 
 今回の裁判も1審の東京地裁は09年1月、職務命令は合憲としながら、定年前の一時期は命令に従っていたことから「裁量権の逸脱」として都に約210万円の支払いを命じた。だが、東京高裁は同10月、「都には広い裁量権がある」として元教諭の訴えを退けていた。
 
 元教諭は、「日の丸」や「君が代」が戦前の軍国主義との関係で一定の役割を果たしたと主張した。最高裁は「国歌の起立・斉唱行為は、式典における儀礼的な所作であり、職務命令は、元教諭の歴史観、世界観それ自体を否定するものではない」と、判断した。
 
 ただし、最高裁は「君が代の起立・斉唱行為には、敬意の表明の要素を含み、思想・良心の自由に対する間接的な制約となる面があることは否定し難い」との考え方を初めて示した。その上で、職務命令をする場合は、その制約が許される程度の必要性や合理性があるかの観点から判断すべきだと述べた。
 
 命令の目的や内容、制約のあり方によっては、認められない場合もあり得ることを示したものだ。
 
 須藤正彦裁判官は、補足意見で「本件職務命令のような不利益処分を伴う強制が、教育現場を疑心暗鬼とさせ、無用な混乱を生じさせ、活力をそぎ萎縮させるということであれば、かえって教育の生命が失われることにもなりかねない。強制や不利益処分も可能な限り謙抑的であるべきだ」と述べた。
 
 同感である。99年に国旗・国歌法が成立した際、過去の歴史に配慮して国旗・国歌の尊重を義務づける規定は盛り込まれなかった。教育現場の自治や裁量に委ねることが本来、望ましい姿ではないか。
 
 大阪府では、公立学校の式典で君が代を斉唱する際、教職員に起立・斉唱を義務づける全国初の条例案が府議会に提出された。今後、違反した教職員の処分基準も定める方針という。最高裁判決は、過度のペナルティーを認めたものではない。その点を踏まえた議論が必要だ。
 
毎日新聞 2011年5月31日 2時30分
 
新聞各社のネット配信記事というのは、運営するサーバ容量の事もあって何日か経つと削除されてしまう様ですから、コピペするのですが・・・まあなんですね。一見尤もらしい事を毎日新聞は主張していますが、「思想信条、良心の自由」の以前の話である事はこの新聞社だって承知している筈なのですがね・・・、この様に理屈をこねないと毎日新聞の存在意義、当然アッチ系の存在意義が無くなってしまうのでしょうね。
 
仮の話ですね。毎日新聞社がですね、同じ様な事で社員から訴えられたらどうするのでしょうね?毎日新聞の記者たちが、国会取材や公的機関への取材でですね、取材する上でですね色々な決め事があるのに「思想信条、良心の自由だ」と喚いてですね、ラフな格好で取材したりタメグチを利いたりしたらどうでしょうね?記者だけじゃないですね、他の社員や重役なんかがですね、取引先へ思想信条・良心の自由だ、といってですね、色々なところで最低限の礼儀を欠いたらどうでしょうね?社内でもそうですね、一般的な社員が社長や株主に対してですね、思想信条・良心の自由だ、といって最低限の礼儀を欠いたらどうでしょうね?毎日新聞社はOKですか?その様な事を社として奨励している訳ですか?株主も認めているのですか?
 
このアッチ系元公務員の話は、そんなレベルの話で、思想信条・良心の自由の話ではないんですよ。それをヘンテコリンな理屈をこねても仕方がないのですよ。ハッキリ言ってしまえば、お前らは社会での礼儀作法もルールも知らない幼稚な人間だ、社会人失格だ、と裁判所は言った訳で、社会人として行動するには最低限の礼儀作法を身につけ社会ルールを守りましょう。それらをこれから誰かに躾けてもらいなさい。と言うことなんですよ。
 
それも理解出来ない様ですから、始末に負えないのですけどね。まあ無理か、歳も歳だしね。
 
 

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向日葵(日輪草)の花言葉は「あこがれ、熱愛、愛慕、光輝、敬慕」なのだそうだ。

 

動画冒頭で森まさこ氏が質問していることが本当なら、実に残念。

 

それでなくとも、福島県南相馬市を含め、福島県の海側の被災地の多くは原発事故によって津波による行方不明捜索はまったく行われていない、と言っても過言ではなく、その行方不明者のなかにも森氏が質問したことが含まれるかと思う。

 

それと、ミンス党小宮山さん、ヘラヘラ作り笑いをして質疑に応えているなよ。と言いたく成る様な動画への映りなのだけど、ヘラヘラ笑っていないよな?

 

 

 

今年初めて観かけたイトトンボです。縁起物と思えましたので・・・・

 

日本ではトンボは古来、秋津(アキツ、アキヅ)と呼ばれ、親しまれてきた。古くは日本自体を秋津島(あきつしま)とする異名もあった。これは神話において、神武天皇が国土を一望して蜻蛉のようだ(あきつのとなめせるがごとし・交接時の姿勢の事とも)と言ったことから、とされ「蜻蛉島(あきづしま)」ともいわれた。沖縄県では現在も方言で「アーケージュ」と呼ばれており、古い時代の日本語の名残りが認められる。

なぜ「トンボ」と呼ばれているかは定かではないが、一説には「稲穂が飛んでいる様に見えたから」とも言われている。事実、古い言葉の残る地域では、名詞の場合、2文字目に「ん」がきて3文字目に濁音が来る場合、2文字目の「ん」は後から挿入されたケースが多い。この法則を当てはめると、「とぼ」となり、「と」は「飛」、「ぼ」は「穂」を当てる事が出来る。つまり「飛ぶ穂」となるわけである。

トンボは勝ち虫とよばれ縁起物であり、前にしか進まず退かないところから、「不転退(退くに転ぜず、決して退却をしない)」の精神を表すものとして、特に武士に喜ばれた。戦国時代には兜や鎧、箙(えびら)刀の鍔(つば)などの武具、陣羽織や印籠の装飾に用いられた。トンボを勝ち虫とする由来は雄略天皇が狩に出かけた際に詠んだ歌が元になっている。素早く飛び回り害虫を捕食し、前進するのみで後退しない攻撃的な姿からともいわれる。徳川四天王の一人本多忠勝は蜻蛉切(とんぼぎり)とよばれる長さ2丈(約6m)におよぶという長槍を愛用した。名前の由来は蜻蛉が穂先に止まった途端に真っ二つに切れてしまったという逸話にちなんでいる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/トンボ

 

 

 

翅の付け根の造形が何とも言えず、本当に良く出来ている、と思います。

 

 

不思議に思える事がある。

 

いままでアッチ系や既存のマスコミは政治権力に対して批判して来たのに、ミンス政府による中部電力の浜岡原発運転停止要請に関しては諸手を上げて賛意を示し賛辞まで送っている。

 

既に多くのブログでも指摘しているが、何の落ち度もない民間企業へ業務に支障を来す要請(命令)を一方的に政府は行えない筈。行うのならば、法的根拠を示すか、法的手続きを行うしかない。そして本当ならば、この強権、いや権力の横暴・暴走とも言って過言じゃない事をアッチ系や既存マスコミは指摘し批判すべきと思うのだが、原発に関しては法をねじ曲げても、権力が暴走しても良いらしい。

 

エッ?緊急事態だから?

 

確かにいまは緊急時で有事だ。だがその緊急時や有事に際しての法律を制定しようとした時に、アッチ系や既存マスコミは声を大にして「何がなんでも反対」「権力の暴走につながる」「軍靴の音が聞こえてくる」と言って来たのではないのか?それを法を逸脱してる可能性があるミンス党政府の中部電力への要請は「大英断だ」って・・・オカシ過ぎる。

 

本当はこの様な緊急時だからこそ、マスコミは権力を監視し「おかしい」と指摘すべきなのだが、大々的に既存のマスコミを通じで報じられる事の多くは、そんな気配すらない。アッチ系も同じで、国歌や国旗に関して「権力の横暴だ、暴走だ」「思想信条の自由に反する」「憲法違反だ」「軍国主義につながる」と噛み付くのに、一民間企業への法的根拠も無い暴力的ともいえる政治権力の介入は良いらしい。いや自分たちの信ずる思想信条の為なら、他人の権利を無視し踏みにじる事は良いらしい。彼らアッチ系が大事にしている現憲法を踏みにじっても無視しても良いらしい。

 

 

 

 

中部電力の浜岡原発運転停止自体の賛否、原発が危険という話は置いといて、この動画でも分かる様に要請を受けた一民間企業は「政府からの命令」と受け止めるのですよ。

 

「お上に逆らえない」というヤツですね。

 

何回か書いて来ましたけど、ミンス党政府は今回の災害でも、それ以前からも権力を得たならば何をやっても良い。法を無視しても良い。と言うことを平気で行っちゃうんですよ。しかも行った後の事なんか何も考えていない節があるんですよ。

 

確かにね、緊急時ということもあるかもしれませんがね。だけどこの様なミンス党政府の行動、対応というのは「権力の暴走」と言うんじゃないんですかね?

 

ところがね、まあこんな形ではありますがマスコミは一応指摘している様ですが、いまの日本の雰囲気はミンス党政府の権力の暴走に対して概ね好意的なんですね。この「概ね好意的」という風潮が一番恐ろしいんですよ。

 

まあ、その「概ね好意的」という風潮、雰囲気を醸し出している最大の要因が「既存のマスコミ」なんですがね。

 

 

 

 

 

原発は政治である
 
来月のBookセミナーでは、アゴラブックスから復刊する『原子力戦争』について田原総一朗さんに話を聞く。私は学生時代に映画で見たことがあるが、日本の政治の暗黒面を原発を素材にして描いたものだ。
 
原発は高度成長の象徴だった。これを日本に導入したのは正力松太郎であり、それを大きな利権にしたのは田中角栄や中曽根康弘だった。都市から地方へ所得再分配を行なう自民党の政治家にとっては、原発を初めとする発電所は大きな利権の源泉となった。電源立地交付金という形で地元に落ちる資金のかなりの部分が、政治家への賄賂だった。『原子力戦争』は、その実態を生々しく描いている。
 
これに反対する勢力も政治的だった。60年代後半の学生運動が挫折し、70年代に公害反対運動にテーマを移し、その象徴として原発が標的になったのが70年代後半だった。このため、原発はゴミ処理場のような普通の迷惑施設とは違い、金で解決できないイデオロギー闘争になった。各地で起こった原発訴訟を支援したのは、学生運動でドロップアウトした万年助手や学生だった。それは彼らの人生を賭けた闘いだったのだ。
 
世界的にみると、チェルノブイリ事故のあとに建設された新しい発電所ではほとんど事故が起こってないが、旧共産圏の古い核施設でたびたび事故が起きている。普通のプラントと同じく、原発も新しい技術で建て直すことが一番の安全対策なのだが、反対派が新設に反対するので、政治的に容易な既存の設備の延命でしのぎ、いったん地元の了解を得た場所に立地が集中する。それが福島第一では悲劇をもたらした。
 
武田徹氏も指摘するように、絶対安全を求めて条件闘争に応じない反対派と、それを金の力で押さえ込もうとする電力会社の「チキンゲーム」から、双方とも降りられなくなった(「囚人のジレンマ」というのは間違い)。行政は地元との交渉を電力会社に丸投げし、何か起きたら「第一義的には事業者の責任で」という言葉で逃げる。原賠法の1200億円という限度額も「それ以上の大規模な事故は起こりえない」という建て前論によるものだった。
 
原発の最大のコストは、こうした政治的な要因である。火力と同じぐらいの安全基準でよければ、原発は圧倒的に安くなるだろう。純粋にテクノロジーとして考えれば、ビル・ゲイツもいうように、原子力はイノベーションの余地が大きく、経済性も安全性も高くなる可能性がある。しかし人々は、政治的な敵対心なしにそれを語れない。
 
だからエネルギー戦略を客観的に考えるには、高度成長期以来の都市と地方の関係を見直し、原発を政治と切り離す必要がある。来月のセミナーでは、田原さんと一緒にそういう問題を考えたい。
 
 
また池田信夫氏のブログの引用なのだが、中々興味深いことが書かれていて、また引用したく成った。池田氏の考え見解に異論がある方もおられるかと思うが、引用文に書いてある
 
原発は高度成長の象徴だった。これを日本に導入したのは正力松太郎であり、それを大きな利権にしたのは田中角栄や中曽根康弘だった。都市から地方へ所得再分配を行なう自民党の政治家にとっては、原発を初めとする発電所は大きな利権の源泉となった。電源立地交付金という形で地元に落ちる資金のかなりの部分が、政治家への賄賂だった。『原子力戦争』は、その実態を生々しく描いている。
 
これに反対する勢力も政治的だった。60年代後半の学生運動が挫折し、70年代に公害反対運動にテーマを移し、その象徴として原発が標的になったのが70年代後半だった。このため、原発はゴミ処理場のような普通の迷惑施設とは違い、金で解決できないイデオロギー闘争になった。各地で起こった原発訴訟を支援したのは、学生運動でドロップアウトした万年助手や学生だった。それは彼らの人生を賭けた闘いだったのだ。
 
世界的にみると、チェルノブイリ事故のあとに建設された新しい発電所ではほとんど事故が起こってないが、旧共産圏の古い核施設でたびたび事故が起きている。普通のプラントと同じく、原発も新しい技術で建て直すことが一番の安全対策なのだが、反対派が新設に反対するので、政治的に容易な既存の設備の延命でしのぎ、いったん地元の了解を得た場所に立地が集中する。それが福島第一では悲劇をもたらした。
 
しかし人々は、政治的な敵対心なしにそれを語れない。
 
の部分を読んでみると、原発事故を受けて「何がなんでも危険」「原発怖い」と喚いている連中の背景なるものがボンヤリとではあるが観えてくるし、高度成長期から始まった「原発安全神話」が何故出来上がったのか、と言うことも分かるかと思う。
 
そして現ミンス党政府・政権与党が日本のエネルギー政策の根幹を変えようとする動きの背景がなんであるかも、ボンヤリであるが観えているかと思う。現閣僚たちの経歴をググれば一目瞭然ではあるが・・・
 
本当は、この様な事を今回の地震災害、原発災害が起きる前に国民的な議論として行えていれば良かったのだろうが、憲法改正の話と同じで、現実離れした神話を信じてしまうところが日本人にはある。憲法改正し憲法九条を無くしたら日本は侵略戦争を起こす、戦争に巻き込まれる、という妄想神話を信じている事だね。だけど現実には現憲法がある事によって、主権を侵され、他国に人質を取られ、主権維持、人質奪還も出来ないでいるのが今の日本。こんな事、他の国では考えられない。よく既存マスコミが、日本と海外を比較し「日本は遅れている」と言うが、まさしくこの主権や日本人拉致に関しては遅れている。
 
ともかく一度神話が出来上がってしまうと、それに疑問を持ってはいけない、異論を唱えてはいけない、という風潮が日本では形成されやすい。これは反原発側の主張を是としても同じだろう。疑問を持ってはいけない、異論を唱えてはいけない、という風潮、考えが本当は怖い。