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動画投稿者の動画概要によると、

 

2008年12月17日 — 2008年12月15日(月)共産党宇治市議会議員 向野(ムクノ) 憲一 氏との面会の様子

 

ウトロ地区 在日不法占拠支援について訊く

 

ということだそうです。

 

共産党員というと、屁理屈であってもそこら辺の屁理屈とは違い、理路整然と思っていたのですが、この方完全に論破されていますね。いや、完全に勉強不足、情緒的感覚のみで答えている、というべきでしょうか。

 

動画で在特会の桜井氏が述べているように、在日外国人にナンデモカンでも権利を与えようなんて言っている人の殆どは「かわいそう」でこの様な政策を推進するんですね。賛成するんですね。しかも、高等教育を受けた方が情緒的な話に弱く大賛成してしまうんですね。だけど、政治って「かわいそう」では済まされないんですね。善い人だらけでもダメなんですね。その証拠が、現政権の普天間ですね。ルーピー総理が「沖縄の基地負担はかわいそう」と思って基地移転の話を公の面前で言った、と善意の目で観ても、結果は皆さんご存知の通りですね。当然ですね。国家間の思惑、基地周辺住民の思惑等々が複雑に絡み合っていますからね。「かわいそう(善意)」では何も解決しないんですね。

 

何回も引用させてもらっている文章なのですけど、今回も引用させてもらいますね。この動画でのやりとり、現政権の普天間、口蹄疫等々の対処、民主党の一連の「言っている事とやっている事の違い」等々を報道されているだけの事を知っても、本当に今現在の日本はこの引用文で書いてある事が当てはまる、と思いますよ。

 


塩野七生著『海の都の物語 1』の中から第三話 第四次十字軍より抜粋引用。

 

 【数年前、日本で、ある人にこんな質問をされたことがある。

 

「現実主義者は、それが個人であっても国家であっても、なぜ常に憎まれてきたのだろう」

 

もちろん、彼と私の間では、現実主義についての定義づけを、あらかじめすることなど必要ではなかった。われわれ二人にとっては、現実主義とは、現実と妥協することではなく、現実と闘うことによってそれを切り開く生き方を意味していたからである。

だが、その時の私は、彼の質問に答えることができなかった。しかし、今ならば、それができるようなきがする。

 

「現実主義者が憎まれるのは、彼らが口に出して言わなくても、彼ら自身そのように行動する事によって、理想主義が、実際は実にこっけいな存在であり、この人々の考え行うことが、この人々の理想を実現するには、最も不適当であるという事実を白日のもとにさらしてしまうからです。

理想主義者と認じている人々は、自らの方法上の誤りを悟るほどは賢くはないけれど、彼ら自身がこっけいな存在にされたことや、彼らの最善とした方法が少しも予想した効果を生まなかったを感じないほど愚かではないので、それをした現実主義者を憎むようになるのです。だから、現実主義者が憎まれるのは、宿命とでも言うしかありません。理想主義者は、しばしば、味方の現実主義者よりも、敵の理想主義者を愛するものです。」】

 

塩野七生著『サイレント・マイノリティ』の中から全体主義についてより抜粋引用。

 

【私は、失望することのほうが、オカシイと感じた。人間的な共産(社会)主義なんて、ありえようはずがないのである。スターリンのほうが、よほど首尾一貫している。バカなのは、そういう社会が実現可能だと信じていた良心的なインテリたちである。私が真の共産主義者ならば、彼らのような人間は社会に害毒をおよぼす人種と断じ、粛清でもなんでもして、消してしまったであろう。政治的センスのない良心的な人々が、政治に口をだすことほど害なものはない。とくに、それらの人が、社会的名声など持っていたりすると・・・・、とソ連の支配者が思ったとしても、あの国の政体からすれば、当然ではないかと思う】

【第二に、相対的な考え方を排して、絶対的ななにかを求める動きである。気持は、わからないでもない。相対的な考え方をまっとうするには、実に強靭な精神力を必要とするからである。多くの人にそれを求めることほど、非現実的なことはない。それ一つですべてを律し切れるオールマイティな考え方を持つほうが、よほどラクだし、マジョリティがどういうことを好むかを考えれば、よほど〝自然〟である。

 しかし、この動向が、善意から生まれ、進歩派からいいだされ、若者たちが旗を持ち、比較的にしても少産階級が温床となり、クリーンで潔白で完全主義者の人々が群れの先頭に立ち、しかも情緒的に表現しはじめると、私は怖いことになる危険を、感じずにはいられない。

 なぜなら、これらの性質を強くあらわせばあらわすほど、大衆の好意を獲得するのに容易になるからである。そして、サイレント・マジョリティと結びついた後は、全体主義は、動向から完結への道を邁進するだけである。

 コンセンサスを、ヒットラーもムッソリーニも、昨今の民主主義体制よりはよほど享受していた時期があったことを、忘れてはならないと思う。そして、全体主義下ではなぜか文化が花開かないかは、文化史上の問題だけではないということも】

 

塩野七生著『サイレント・マイノリティ』の中からアテナイの少数派より抜粋引用。

 

 【まず、民主主義者たちは、自由よりも平等を好むものだからだ。なぜなら、自由には、純粋に精神的な満足しか与えられないが、平等は、日々新たに、小さな物質的な満足を与えてくれるからである。平等の概念を急進化した、プロレタリア独裁を思い出すだけで充分だ。これが、個々人の自由の破壊にどれだけ貢献したかを考えるだけで、それ以上の説明の要もないだろう。

真に自由を尊重する人々は、法を尊重するものである。これら思慮深い人々には、法の確立こそが、国民の活力の無用な消費を防ぐ唯一の道と考えるからである。一方、思慮浅き人々は、人民自体が法である、という彼らの宣言に見られるように、法を尊重しない。とはいえ、思慮深い人々の頭にある善政とは、ただ一つの主義では解決できるようなものではない。民心安定の二大要素である、法の平等な実施と利益の分配は、特定のイデオロギーの成果ではないのだから。】

 

 

 

 

 

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