2010.1.30 17:39
 30日午前7時半ごろ、摂津市新在家の府道大阪中央環状線で、渋滞の最後尾でとまっていたトラックに後ろからきた大型バイクが追突。バイクを運転していた兵庫県宝塚市山本丸橋の会社員、内山悠さん(31)が腹などを強く打ってまもなく死亡した。
 摂津署によると、現場は片側3車線の直線道路。トラックの男性運転手(42)は「追い越し車線で停車してすぐに追突された」と話しているという。

昔、似た様な事故に遭遇したことがある。
 
あれは、国道16号だったか、第一京浜だったか、忘れてしまったが、片側二車線道路で渋滞中だった。私はその渋滞の中にいて、左脇からバイクの音がするなと思ったら、目の前でそのバイクが同じように渋滞で止まっていた乗用車の後部に激突した。バイクのライダーは一応ブレーキをかけた様なんだけど、間に合わずに衝突しライダーは前方に放り出され、衝突した車の屋根か後方の窓にぶつかって、私の車の前に投げ出された。
 
私は、渋滞のために車を止めていて、投げ出されたライダーを車で轢く事は無かったが、これが走行中だったとしたら、間違いなく目の前に放り出されたライダーを轢いていただろう。
 
災難なのは、衝突された車の運転手だ。途方に暮れた様な顔をしていた。そりゃそうだ。一応被害者ではあるのだが、加害者が重傷を負って目の前で呻いているのだから・・・文句すら言える様な情況じゃないからね。
 
それより以前、トンネルの中で乗用車が砂利を満載にした大型ダンプのケツに追突した事故も観た事がある。キレイに乗用車の屋根の部分を切り取るように乗用車がダンプの下に潜り込んでいて、正視できなかった。大型ダンプのドライバーは、それこそ途方に暮れていた。
 
人間の行う事なんて「完全」「完璧」というものは無い。だからこそ最先端技術などで補おうとするのだろう。だけど、前回のエントリーでも書いたけど、最先端技術、道具を使う側が、その技術、道具をどの様に使うかによって、技術や道具が凶器にも便利なものにも如何様にも変わる。ところが人間、道具の使い方を熟知してくると慣れとか驕りという慢心がでてきて、これをやったらダメだよな、という想像力も働かなくなり最悪の事になるのだと思う。そして、些細な不注意で起きた事故なのに、その些細な不注意が社会全体を窮屈にする事もある。極端な例になるけど、些細な事がきっかけで一人ひとりの呼吸の仕方なんかを、法律で事細かく決められてしまうような事だってあるかもしれない。
 
 

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この動画をご覧になってどのような感想をお持ちだろう?

 

私はハッキリ言って「ロボット」と思ったし、車を真っすぐ走らせ、コーナーを曲がる時にハンドル操作は必要なく、やはり肝心なのはアクセルワークとブレーキングなんだな、と思った。この動画ではそれが良く分かる。

 

暮らしている場所が場所なので雪道は当然の事ながら、本格的な不整地も四駆で走行したことがある。その経験上滑りやすい路面や不整地では、微妙なアクセルワーク、クラッチミート、ブレーキ操作が求められることも承知している。ハンドル操作は、あくまでも添える程度・・・不整地走行時でハンドルを力強く握っていると、ギャップがある場所で指をケガしてしまう場合がある・・・これが出来ないと車はスタック、最悪横転、という事になる。出来れば誘導してくれる人間がいればなお良い。この様なデリケートな操作を車自身が、いやコンピューター制御で行えるというのだから凄い。

 

私は自家用車として、今風に言えば「SUV」というカテゴリーの車に乗っている。が、動画の様な最新鋭の車ではない。ミッションはマニュアルだし、基本的には「直結四駆」と言われるタイプだ。少しだけ最新鋭と言えるとすれば、四駆をフルタイムとデフロック四駆、後輪駆動と四輪駆動を運転席にいながら、レバー操作一つ、ボタン操作一つで切り替えられると言うところだろうか。これだけでも、随分昔の四輪駆動車に比べたら、格段の進歩だ。

 

昔は、いちいち外に出てハブをロックし、それから運転席にあるサブレバーで四駆に切り替えた。しかも、この様な四駆はスムーズにコーナーを曲がってくれない。ところが私の四駆でも、四輪駆動へ切り替えても何の違和感も無くコーナーを曲がれる。職人技的な操作も必要なくなったし、四輪駆動も当たり前のものになってしまった。

 

メーカーのHPには、この車の概要と価格が載っていたが、この手の車として価格が高いのか安いのか判断が出来ない。が、壊れたら修理代が高い、という事は想像がつく。しかも、この車種のすべてのラインナップは、車両重量が2トンオーバーだ。その車体の大きさも半端ではない。とてもとても、いくら最新鋭の制御システム搭載の四輪駆動車といえども不整地を走行する様な車ではない。積雪路面、凍結路面だって、この重量があだになり、コンピュターで制御されいても、その制御限界を超え暴れ出したら事故になる事は目に見えている。

 

 

http://toyota.jp/landcruiserprado/concept/concept/index.html

 

introduction -LAND CRUISER PRADO-

・サイズ全長 4,760mm

全幅 1,885mm

全高 1,850mm(TZ-Gは1,835)

 ・乗車定員7名/5名

 ・エンジン1GR-FE/2TR-FE

 ・総排気量1GR-FE 3.955L/2TR-FE 2.693L

 ・最高出力[ネット]1GR-FE 203kW[276PS]/5,600r.p.m.

  2TR-FE 120kW[163PS]/5,200r.p.m.

 ・最大トルク[ネット]:1GR-FE 380N・m[38.8kgf・m]/4,400r.p.m.   

             2TR-FE 246N・m[25.1kgf・m]/3,800r.p.m.

 ・価格:¥3,150,000(消費税抜き ¥3,000,000)

            ~¥4,750,000(消費税抜き ¥4,523,810)

 

道具は使い方によっては、凶器にも便利で手放せないものにもなる。これを踏まえて道具を使わないとならないだろ。当然過信は禁物である。

 

 

 

アメリカ大統領が、この時期議会で「一般教書演説」というのを行う。
 
Wikipediaからの引用になるのだが、Wikipediaによると

一般教書演説(いっぱんきょうしょえんぜつ、State of the Union Address)とは、米国で大統領が、アメリカ合衆国議会両院の議員を対象に行う演説で、国の現状 (State of the Union) についての大統領の見解を述べ、主要な政治課題を説明するもの。
予算教書」「大統領経済報告(経済教書)」と合わせて3大教書と呼ばれることもある。
 
概要 [編集]
 
大統領は議会出席権を持たないが、憲法の規定では文書の形で「教書」 (message) を議会に送付することが認められている。 ただし、大統領の議会への出席権については、実務上、議会の許可が必要という点で 権利が制限されているとの見方もある。 議会による特別な招待の下で、大統領が上下両院議員に対して教書を口頭で演説することが慣習化した行事が、一般教書演説である。
慣例として、1月最後の火曜日に演説が行われることが多い。
出席者は大統領 (President of the United States) 、副大統領(上院議長を兼ねる)(Vice President of the United States as President of the United States Senate) 、両院議員 (members of Congress) と下院議長 (Speaker of the House of Representatives) にとどまらず、最高裁判所判事 (Justices of the Supreme Court) 、各省長官 (United States Cabinet) 、統合参謀本部 (Joint Chiefs of Staff) の将官といった、合衆国の三権と軍の首脳が一堂に会する。
したがって、アメリカ合衆国連邦議会議事堂に対する核攻撃・事故・テロなどで出席者の多くが死亡あるいは職務執行不能になった場合、大統領職を継承できる人物がいなくなり、政府の活動が不可能になる可能性があるため、副大統領、下院議長に次ぐ第3順位の大統領継承権を有する上院仮議長 (President pro tempore of the United States Senate) と、同じく大統領継承権のある行政長官の1人と、最近では両院の議員各党1人ずつが「指定生存者」 (Designated survivor) として欠席し、連邦議会議事堂から離れた安全な場所に待機することになっている。アメリカのドラマや映画などの設定で、閣僚がほとんど死亡し、農務長官など順位の低い閣僚が繰り上がって大統領になるのは、こうしたことに由来する。
議場では上院議長である副大統領と下院議長が相並んで議長席につき、与野党議員ともに盛大な拍手で大統領の入場を迎える友好的な雰囲気の下に演説が開始される。演説中、言及される個別の政策項目に賛成する議員による拍手でしばしば演説が中断されるが、当該項目に反対する議員の意志表明は拍手を控えることにとどまり、野次やブーイングなどが行われることは通常ない。
慣例的に、大統領は入場の際、下院守衛長 (Sergeant at Arms of the United States House of Representatives) の先導により、上下両院合同会議の長である下院議長の指示を仰ぎ、また、演説に際し、下院議長の許可がなくてはならない。この慣例は、行政府の長である大統領であっても、立法府である議会に足を踏み入れたら、議会の長である議長(ここでは下院議長)に従わなければならない、という意味合いを持っており、三権分離の大原則を示す好例と言える。
また、一般教書演説の原稿は、演説開始の直前まで繰り返し修正が行われることでも有名である。

ということらしい。
 
私は、なぜこの様な「演説」「文書配布」を「教書」と呼ぶのか?と思った。日本語に訳された「教書」は、そのまま単純に理解すれば「おしえのしょ」だ。だが、Wikipediaに記載されている事を引用すれば【大統領は議会出席権を持たないが、憲法の規定では文書の形で「教書」 (message) を議会に送付することが認められている。】と記載されており、「教書=message」となっていて、「教書」には「他に自分の考えを伝える、広める」という意味が含まれているようだ。
 
歴史に詳しい方や、キリスト教徒やキリスト教に詳しい方ならご存知かと思うが、ローマ法王も公式な考えを広め教える時にやはり「教書」を出す。この様な文書を、いつ誰が日本語で「教書」と訳したのかしらないが、ローマ法王アメリカ大統領の公会議の場での「演説」「発言」「表明」「配布した文書」を「教書」と訳したのは、「いいえて妙」と思った。
 
アメリカがいう事には日本は黙って従うしか無い、という事実?皮肉?もこめてアメリカ大統領の議会演説、議会への文書配布を「教書」と訳したのだろか?
 
 

 北海道に「矢臼別演習場」というのがある。この演習場は、演習場内に国道が通っている。この国道を挟んで行われた榴弾砲の実弾射撃演習に私は参加したことがある。

 

どこから来るのか分からないが、大々的な「歓迎委員会」が組織され、「自衛隊は出て行け!!」「人殺しの訓練は止めろ!」と非常に感激してしまう歓迎の言葉を「歓迎委員会」から浴びた。

 

北海道に上陸する以前から、ヘンな横断幕を目にしていたが、歓迎委員会の出現で「なるほど」と思った。

 

部隊長から、「歓迎委員会から何を言われても言い返すな」「挑発するジェスチャーもダメだ」と厳命が下されていた。

 

普通は実弾射撃訓練を行う場合でも、演習場内を通る国道を一時的に閉鎖、通行止めは滅多にしないのだが、この演習は砲の最大射程射撃を行うことを主としていて、如何しても国道の一時閉鎖、通行止めにする必要があった。地元警察と自衛隊で安全管理に努めるのだが、彼ら歓迎委員会の面々はそんなのおかまいなしである。「我々にも国道を使用する権利がある」「大砲の音で乳牛の乳が出なくなる」といって食い下がり大騒ぎである。その国道を使用しなければどこにも行けないということもない。しかも閉鎖、通行止め時間は、一時間だ。緊急の場合は、一時演習を中止し、速やかに国道の閉鎖、通行止めを解除する措置も講じている。

 

私が所属していた部隊が良く使用していた演習場近くの牧場の経営者は「大きな音がすると、乳牛の乳の出が悪くなる」といっていたが、その保証はされていたはずである。自衛隊の施設がある自治体は、自衛隊のためのインフラ設備に乗じて自治体自身のインフラ設備も整えたはずである。自衛官が個人的に自治体に落とす金もバカにならないはずである。

 

Wikipediaには、「矢臼別演習場」のことを次のように記載されているが、

 

【矢臼別演習場(やうすべつえんしゅうじょう)とは、北海道厚岸郡厚岸町、厚岸郡浜中町、野付郡別海町にまたがる陸上自衛隊の演習場である。総面積約16,800haにも及ぶ自衛隊では最大規模の演習場である(大阪市の3/4に相当する面積)。射程18kmの実弾射撃が可能な施設であり、日本で唯一榴弾砲の実弾演習が出来る演習場である。毎年行われる協同転地演習や、第一空挺団によるパラシュート降下展開演習、アメリカ軍との日米共同訓練などが連日のように行われている。年間演習日数300日を誇る。】

 

次の部分が少し違う。

【射程18kmの実弾射撃が可能な施設であり、日本で唯一榴弾砲の実弾演習が出来る演習場である。】

 

これは間違いである。

 

榴弾砲実弾射撃は、砲弾弾着地が整備されている演習場ならば原則榴弾砲の実弾射撃は可能だ。ただ「最大射程射撃」ということになれば、日本でそれが行えるのは矢臼別演習場であることに間違いは無い。近年陸上自衛隊の榴弾砲が代わり、その最大射程が20Km強に及ぶ。このために矢臼別演習場でも最大射程射撃を行うには手狭になったと聞く。

 

現在陸上自衛隊は、アメリカ本土の米軍演習場で実戦に即した実弾射撃訓練を行っているようだ。

 

 

貼付けた動画は、アメリカ軍の物ですが、基本的にはこんな感じのようなことをやって自衛隊も大砲をぶっ放します。私から見ると、少しだらしない感じですが、自衛隊が行っている動作と同じです。が、これはあくまでも大砲操作、最終段階というヤツで、この他に色々な過程を経て、大砲がはじめて実弾を射撃できるのですが・・・

 

民主党は、一党、一派の親分、若頭の疑惑に動き出した検察に「説明責任」と一部のマスコミと一緒になって喚いている。これ、普通に考えて「?」と感じるのは私だけだろうか。
 
日本で考えられている「逮捕=犯罪者」「容疑者=犯罪者」ということが良いとか悪いとかは別にして、民主党の一党・一派の親分、若頭の周辺で起きていることは、あくまでも「逮捕」であり「容疑」だ。逮捕されたから、容疑者になったからと言って即犯罪者にはならないはずだ。裁判で「犯罪があった」と認められて、はじめて容疑者・被告を「犯罪者」と呼べるはずだ。緊急逮捕を除いて、普通は逮捕、身柄勾留に関しても裁判所が決める。検察・警察が勝手に独自に決めるのではない。当然、マスコミや政治家が決めることでもない。それを、いくら権力の一方を担っている国会議員といえども、マスコミといえども、言論・表現の自由が保障されているということを盾にして「検察に説明責任がある」というのは非常に暴論と思うのだが・・・これでは、裁判所、裁判制度の意味がなくなる。いや、三権分立、法治の根底が揺らぎかねないのではないだろうか?
 

邦人の覚醒剤持ち込み、高裁へ マレーシア
2010.1.26 14:02
 覚醒(かくせい)剤を持ち込んだとして危険薬物不正取引の罪で起訴された東京都目黒区、元看護師、竹内真理子被告(35)の起訴手続きが26日、クアラルンプール近郊の裁判所で行われ、裁判所は事件を高裁に移して公判を開始することを決定した。
 裁判所関係者は「重罪のため、慎重な審理が必要だと判断した」としている。マレーシアでは、薬物不正取引の罪は死刑が法定刑とされている。公判の日程は未定。
 起訴状によると、竹内被告はアラブ首長国連邦ドバイから2009年10月30日にクアラルンプール国際空港に到着した際、スーツケースの中に覚醒剤4・6キロを隠し持っているのが見つかり、逮捕された。
 竹内被告は09年11月に起訴されたが、検察側による化学鑑定などのため、起訴手続きが続行されていた。(共同)
 

とマレーシアの裁判所も、容疑者被告の処遇を決定しているではないか。伝えられる事件の容疑者被告の処遇、公判を決めたのは、容疑者を逮捕し起訴した検察警察ではない。伝えられることが本当なら、どう読んでも裁判所が決定している。他国での裁判事例とは言え、普通の法治国家ではこれが当たり前のことだ。
 
こんな基本中の基本は、日本でも義務教育で教わるはずなのだが・・・どうも、検察に対して「説明責任」と言っている人たちは教わっていないように思われる。それ以前に、理解力があるかどうかも疑わしい。
 
確かに日本の現行法では、逮捕者容疑者への配慮というか、検察警察の逮捕者容疑者への対応に疑問を覚える法律があることは否めない。だから「裁判員制度」に観られるように「司法制度改革」なのだろう。
 
政治家の殆ど、マスコミの中にいる殆どの人間は「大学」を出てる人が多いくせに、「本当は何も知らない」「大学では何も学ばなかった」「普通の人が思っていた以上に政治のド素人ばかりだった」ということを、今回の件で露呈していることに気がつかないことが、本当は「イタイ話」で、こんなにも「何も知らない」「政治のド素人」の連中が「世論を形成する」とか「国の進路を決める」ということを行っているのだから暗澹たる思いがする。
 
まあ、それだけある勢力からの「対日工作」が功をそしているという見方も出来るのだろうが、ここまでいまの政治家の多くやマスコミの対応が稚拙だと「彼らは本当のバカではないのか?」と思ってしまう。そんなバカを支持し選んだ有権者って・・・・
 
 
余談になるが、拘置所生活は案外快適らしい。容疑者拘置とか未決拘置は金と頻繁に訪ねてくれる面会者がいると快適に過ごすことができるらしい。食事も、金があれば、差し入れがあればという条件付きになるが、結構おいしい食事が中では食べられるらしい。雑誌購読や新聞購読も条件つきではあるが一応できるらしい。よく世間を騒がせた容疑者が保釈される時に、多くの荷物を抱えて拘置所から出てくるシーンがテレビで映されるが、その理由がこのためなのだとか・・・拘置所での身柄勾留生活も「地獄の沙汰も金次第」らしい・・・ちなみに私は経験者ではない。経験者が近くにいて、拘置所経験を聞いただけだ。しかも、その筋というか、まあ、暴力団と近い筋の人間から聞いた話で、その人間は「傷害容疑と詐欺容疑で二度逮捕され拘置されたが、嫌疑不十分と無罪判決で直ぐに娑婆に戻ることが出来た。だから俺はバカなことをしてきたが前科がない」と誇らしげに語っていた。
 

NHK教育テレビで放送されている「日曜美術館」という番組をよく観ていた。
 
番組名で分かるように、番組は主に絵画を中心とした美術番組だ。番組の紹介する番組HPによると、次のように番組を紹介している。
 
【「日曜美術館」は1976年4月に放送を開始して以来、美術番組の草分け的存在として親しまれてきました。1997年4月に「新日曜美術館」としてリニューアル。今年5月には放送回数1700回に達する、世界にも類を見ない長寿番組です。2009年、教育テレビ放送50周年を機に、4月からは番組タイトルを再び「日曜美術館」と改め、新しいキャスターを迎え、スタジオセットやテーマ音楽なども一新して、新たなスタートを切ります。】
 
別に絵画や美術品に特別に興味があるわけではないし、画を理解できるような審美眼をもっているわけでもない。が、番組が画を紹介する時に、その画が描かれた時代、人物の背景等が一緒に紹介されるため、その背景に興味が引かれたのだ。
 
だが、いまはその番組を観ない。なぜなら、番組司会者・キャスターが代ったからだ。いままでも、少々首をひねってしまう感じの司会者・キャスターもいたが、いまの司会者・キャスターでは・・・流石に「ウンザリ」という気がした。
 
NHKは近年本当に露骨に特定の「思想」「イデオロギー」を放送内容に混入する。しかも「正義面」して混入する。番組の視聴者を不愉快にさせる。
 
番組紹介HPはこちら「日曜美術館
 

名護市長選 それでも辺野古移設が最善だ(1月25日付・読売社説)
 
 米軍普天間飛行場の移設問題の解決が、一段と困難になった。
 
 沖縄県名護市長選で、現行の移設案に反対し、県外移設を主張する稲嶺進・前市教育長が当選した。現行案を容認する島袋吉和市長は、普天間問題より経済振興の重要性を訴えたが、及ばなかった。
 
 名護市辺野古沿岸部に普天間飛行場の代替施設を建設するのに必要な公有水面埋め立ての許可権限は県知事にある。市長が反対しても、法律上、建設は可能だ。
 
 ただ、施設を円滑に建設し、安定使用していくには、地元自治体の理解と協力が欠かせない。
 
 鳩山首相は、5月までに移設先を最終決定すると明言した。しかし、政府・与党は、グアム移設や嘉手納飛行場への統合など、地元も米国も反対する非現実的な案を軸に検討している。
 
 こうした案と比べれば、今回の市長選結果を踏まえても、現行案の方が実現可能性が高い。5月の決着が対米公約となる中、現行案を断念すべきではあるまい。
 
 そもそも、国の安全保障にかかわる問題を首長選挙の結果に委ねること自体が誤りであり、国の責任で結論を出すべきだ。
 
 名護市長選は1998年以降、常に移設受け入れの是非を争点にしてきた不幸な歴史がある。地元は「この問題で市を二分させないでほしい」と要望し、岡田外相も理解を示していたが、政府は昨年中の決着を先送りしてしまった。
 
 その責任は鳩山首相の優柔不断な対応と決断力の欠如にある。
 
 首相が具体的な展望のないまま県外移設に言及し、「沖縄の民意」を重視する発言を繰り返した結果、沖縄の期待が過剰に高まり、問題解決が難しくなった。
 
 移設先が見つからなければ、市街地の中心に位置し、事故の危険性と騒音問題を抱える普天間飛行場の深刻な現状が、長期にわたり固定化される。日米関係も悪化し、危機的状況に陥るだろう。
 
 それを鳩山政権は望むのか。
 
 96年の日米合意以来、普天間問題が紆余(うよ)曲折を経てきたのは、地元、米国など、すべての関係者が完全に満足する解がないためだ。現状を改善するには、完璧(かんぺき)でなくとも、関係者が同意できる案の実現を追求するしかない。
 
 新市長が早期に現行案をそのまま容認する姿勢に転換するのは無理だろう。だが、現行案を修正したり、新たな条件を加えたりすることで、市側と合意できる選択肢はあるはずだ。政府はその可能性を粘り強く探るべきである。
(2010年1月25日01時42分  読売新聞)
 
 

【主張】名護市長選 首相は決着に政治生命を
2010.1.25 03:02
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題が最大の争点となった名護市長選で、県外移設を掲げる無所属の前市教育長、稲嶺進氏=民主、社民、国民新など推薦=が当選した。
 
 これが鳩山由紀夫首相が「県民の声を聞きたい」としてきた結果であり、普天間をキャンプ・シュワブ沿岸部(同市辺野古)に移設する現行計画は著しく困難となった。日米同盟への悪影響は甚大だ。日本の安全保障の根幹を一首長選の判断に委ねてしまった首相の責任は極めて重大で、禍根を残しかねない。
 
 首相は政治生命をかけて移設受け入れを地元に説得し、一日も早く問題を決着させるべきだ。
 
 普天間問題を争点とした市長選は通算4回目で、これまでは移設容認派が勝利してきた。現職の島袋吉和氏は、国の見返りである「北部振興策」や雇用創出などの実績を訴え、自民党や仲井真弘多県知事も実質的に支援した。
 
 だが、今回は鳩山政権がこの問題で迷走を続け、反対派勢力を勢いづかせた。県外移設や福祉・教育の充実を掲げる稲嶺氏を反対派の市民団体・労組が支え、政権与党と共産党がそろって推薦に回ったことも大きいとみられる。
 
 移設問題は日米が1996年に普天間全面返還に合意して以来の懸案だ。2006年に合意された現行計画は両国であらゆる選択肢を検討した末の結論で、米政府も「最善の選択」とし、地元も県も足並みをそろえていた。
 
 にもかかわらず、「県外移設」にこだわった鳩山政権は決断を再三先送りし、新たな移設先も含めて「5月に政府案を決める」としてきた。市長選の結果は政府の不決断と無責任によるものだ。
 
 現行計画が挫折すれば、普天間移設ばかりか海兵隊部隊のグアム移転や嘉手納以南の米軍施設返還も白紙となる。アジア太平洋の米軍戦略や日米の共同抑止態勢にも重大な支障を生じかねない。
 
 「県民の基地負担軽減」という歴代政権の約束を果たせず、米国の対日信頼も失われる。日米同盟関係は空洞化の危機に直面させられるだろう。
 
 連立与党協議でも、現行計画に代わり得る具体案は何もないのが現状だ。鳩山首相は自ら招いたこの結果を深く反省するとともに、今からでも現行計画を推進する決断を下し、地元の説得と政権の意思統一に全力を注ぐべきだ。
 
 

 2010年1月25日(月)付
  名護市長選—「県外」探しを加速せよ
 
 沖縄県名護市長選で、米軍普天間飛行場の代替基地を同市辺野古に受け入れるという案への反対を掲げた新顔の稲嶺進氏が当選した。
 
 移設問題は安全保障にかかわることであり、政府が責任をもって判断すべきだ。だが、鳩山由紀夫首相は今回の結果を重く受け止めざるをえまい。日米合意の重さとともに、沖縄の地元の意思の尊重を語ってきたからだ。
 
 今年5月末までに移設問題を決着させると内外に公約している首相は、新候補地探しにいよいよ全力を挙げねばならない。
 
 鳩山政権は辺野古以外への移設を目指して、連立与党間で新たな移設地の検討を続けている。同時に、4年前の日米合意通りの辺野古案に立ち戻る可能性も残しているが、稲嶺氏の当選でそれは極めて困難な情勢となった。
 
 移設容認の姿勢を打ち出している仲井真弘多・沖縄県知事も難しい立場に追い込まれよう。県議会にはこの市長選の結果を受け、自民、公明両党を含む全会一致で県外移設を求める決議を行う動きもある。
 
 名護市民には、難しい選択を迫る選挙だった。
 
 移設容認派の現職、島袋吉和氏は1期4年間の地域振興の実績を強調し、基地受け入れ問題の争点化を避ける戦術をとってきた。一方の稲嶺氏は「辺野古の海に基地は造らせない」と、移設反対を前面に押し出した。
 
 基地の騒音や事件、事故の危険を考えれば、基地を受け入れたくないというのが市民の正直な思いだろう。しかし、失業率の高さなど地域経済の衰えは深刻だ。基地受け入れで、建設に伴う公共事業や見返りの地域振興策に将来の期待をつなぎたい。そんなジレンマの中での選挙だった。
 
 名護市が普天間の移設先に浮上してから10年余りになる。過去3回の市長選ではいずれも容認派が勝った。振興策より基地ノーを求める民意が多数派を占めたのは初めてのことだ。
 
 昨年の政権交代で、普天間の県外・国外移設を主張してきた民主党政権が誕生したことが、そうした変化を後押ししたに違いない。
 
 それだけに、こうした民意を受け止めなければならない鳩山首相の責任は極めて重い。
 
 政府与党の作業チームは近く、各党が辺野古以外の代替案を持ち寄る。「県外」の九州の自衛隊基地や沖縄県の離島などの名前もあがっている。一括移設にこだわらず、基地の機能を分散する打開策も検討すべきだ。
 
 いずれにせよ、自治体に受け入れを説得したうえで、さらに米国政府を動かさなければならない。相当な力わざが必要だろう。広く国民の間で基地負担を分かち合うという難問に、答えを見いださなければならない。
 
 

一連に列記したのは、今日の読売、朝日、産経各紙のweb版に載っていた、昨日の沖縄名護市長選の結果を受けての社説です。毎日関しては、読む価値も無いと判断しましたのであしからず・・・というより、朝日を読めば、大概「アッチ系」「良心的なインテリ」のいいたいこと、考えていることが分かりますし、毎日は既に終わっていますから、新聞社として、報道機関・メディアとして私はカウントしません。
 
どの社説が「正しい」とはいいませんが、どの社説が現実的な「意見」であるかは一読すればお分かりかと・・・
 
 
 
なお、リンクアドレスを貼付けてありますが、これは何日か経過するとリンク切れになります。新聞各社そのような措置を講じているみたいです。
 

 

最近読んだ本【佐藤賢一著「カペー朝 フランス王朝1」講談社現代新書刊】の中で、次のようにフランスの成り立ちを書いてある。

【フランスの歴史は、おおまかにガリア人の時代、古代ローマ帝国の属州時代、フランク王国(帝国)の時代、フランス王国の時代と進んでくる。とはいえ、部族単位で生活し、国という国をもたなかったガリア人の時代、広大な帝国の一部だった古代ローマの時代、さらにゲルマン民族の大移動で、その一流フランク族が建てたフランク王国の時代にいたるまでは、当然ながらフランスという国を論じることができない。
 特にフランク王国の時代についていえば、その間に二つの王朝が起こり、また滅びている。クロヴィスを始祖とするメロヴィング朝の王家は、その版図に現在のベルギー、オランダ、ドイツの一部を加えながら、半面では西ゴート王国、ブルグント王国、ブルターニュ王国など、現在のフランスに相当する地域に別国家の興隆もみていた。
 一方でピンを始祖とするカロリング朝の王家は、わけても二代シャルルマーニュの征服事業で今日のフランス、ベルギー、オランダは勿論のこと、ドイツイタリアに相当する地域までを包摂していた。
 シャルルマーニュは八〇〇年に戴冠して、古代ローマ皇帝の後継者を称した。かつての西ローマ帝国の版図さえ凌駕して、ほぼ西ヨーロッパと同義となる巨大勢力圏を形成しながら、その国は名実ともに「フランク帝国」だったのである。】
【では、フランスという国ができたのはいつか。教科書的な史実を引けば、その起源は八四三年のヴェルダン条約、ならびに八七〇年のメルセン条約に求められる】
【実際のところ、はじめに取り上げたルイ十三世、十四世という数え上げも、そもそもの一世を探そうとすれば、カロリング家のフランク皇帝ルイ一世、つまり息子たちに帝国分割を許した敬虔帝に辿りつく。遂には十世を数えるシャルルも、フランス王家に多い名前になるわけだが、こちらも元を辿ればフランク皇帝シャルル一世こと、シャルルマーニュに行き着くのである】
【中世のフランス王はラテン語で Rex Francrum と名乗りを上げた。Francrumという語はFrancusの複数属格であり、訳せば「フランス人たちの王」くらいになるか。が、あくまで日本語に訳せばということで、Francusという語は「フランク人」に取ることも可能なのである。ラテン語がフランス語になるときに、単に発音の上で「フランク」が「フランス」に訛っただけの話であり、いうところのフランス王国とは西フランク王国のことに他ならないのだ、とここは素直にみとめるべきだろうか。
 私はそうは思わない。「フランク」と「フランス」は単に発音上の問題だとしても、頭の「西」が取れたことに、それも十世紀の初頭にはもう取れてしまったことに、大きな意味があると考えるからである。
 様々な議論はあれ、なぜ「西」が取れたかといえば、つけて区別する必要がなくなったから、つまり中央フランクも、東フランクも、それとしては存在しなくなったからである。それが証拠に、ヴェルダン条約の時点における中央フランクの版図には、現在もベルギー、オランダ、ルクセンブルク、リヒテンシュタイン、スイスイタリアと複数の国が並立している。アルザス・ロレーヌ地方などは、前の世界大戦までドイツ領になったり、フランス領になったりしている。メルセン条約で祖形を浮かび上がらせた、イタリアという国にしても、その統一は十九世紀まで遅れている。他方の東フランクにいたっては、現在なおドイツオーストリアに並行し、ドイツだけを取り上げても、やはり悲願の統一は十九世紀なのである。
 中央フランク、東フランク、ともにフランク王国であることを、早々に止めたという意味だ。あちこちに盥回しにされながら、ドイツには皇帝の権威が残るが、それはあおくまでローマ皇帝の位である。またフランク王も早々にいなくなっている。単にカロリングの血統が絶えたという意味に留まらず、それとして位を継承するものさえいなくなった。いいかえれば、中央フランクなり、東フランクなりを、一個の国として成り立たせる担い手がいなくなったのである。
 西フランクの場合は反対に、その王国を決定的に崩壊させることなく、新時代にフランスとして力強く蘇らせた功労者がいたことになる。クロヴィズ以来の王国の中核に位置したという、恵まれた条件が加味されなければならないとはいえ、それ自体は異論の余地もな偉業だ。とすると、これを遂げた英雄こそ、カペー朝、ヴァロワ朝、ブルボン朝と続いた、いうところのフランス王家であるとはいえまいか。累代にわたる国造りの物語として、諸王の奮闘を描き出す試みは可能ではあるまいか】
 

いま引用した文章に書かれていることは、ヨーロッパ史に詳しい方ならご存知の話と思う。
 
なぜ現代ヨーロッパが「EUヨーロッパ連合体・統合)」を行い、いまもその連合・統合の拡大に努めているか、ということがこの引用した文章にて、その理由の一端が何となくではあるが頷けるかと思う。もっといえば「古代ローマ帝国」「パスク・ロマーナ」「キリスト教」なのである。この感覚を、このような歴史背景を素地に今日の「EU」という考え方があるのだと思う。決して「EU」という考え方が新しい考え方でないこともお分かりかと思う。が、近代・現代における「EU」の考え方が新しく思えたのは、「民主的」「非暴力」によって、統合国同士尊重し合うことを全面に出したからだろうか。
 
 
では、現民主党政権が掲げる「東アジア共同体」はどうだろう。日本、中国韓国(朝鮮半島地域)に限ってみても、どうであろうか?可能であろうか?歴史的、地理的にみてどうだろうか?ヨーロッパのように果たして旨くいくのだろうか?
 
単純に観て「宗教的価値観が同じヨーロッパ」が平和的な形で「統合」したのは、つい最近の話だ。それまで千年以上にわたり、統合のために戦争を繰り返してきた。それを、いくら近代文明が、科学技術が目覚ましく躍進したからといって、「我々も同じ」「我々にもできる」といって簡単にできるものなのだろうか?いや、現代人の考え方価値観が、果たして本当に新しい考え方価値観なのか?現代中国は、その経済的躍進は凄まじいものが観られても、所詮「一党独裁」の国だ。これが新しい考え方価値観の国なのか?韓国は自分たち自身が南北の統一すらできていない。これで本当に現民主党政権がいう「東アジア共同体」ができるのか?その素地がこの何年間かでできるのか?
 

民主党政権をいま揺るがしていることは、色々な見方、色々な解釈、考え方、意見があるかと思うけど、以前も書いたけど、簡単に言ってしまえば「言っていることとやっていることが違う」につきると思う。
 
ところが、民主党自体から、民主党を擁護してきたマスコミから、「言っていることとやっていることが違うでしょう」「それは違うでしょう」と言う論調が聞こえてこない。
 
もう忘れてしまったかもしれないけど、昨年の春先、民主党小沢氏の今度の騒ぎのことで一度騒ぎになった。あの時は、民主党は政権政党ではなかったから、民主党はもの凄くカッコイイことを言って誤摩化すことができた。「所詮野党だから」という雰囲気にも助けられたのかもしれない。そして、夏場になるとそのことも無かったかのように「我々は以前から政治と金の問題を・・・」と民主党は声高に言い始め、マスコミ、特にテレビメディアは「民主党は政治と金に関してはクリーン。だから民主党に政権を取らせたら?一度ぐらい良いじゃない」というキャンペーンを行った。その結果、ご存知の通り政権交代が実現し、民主党を中心とした現連立政権が出来た。
 
ところが、政権発足間もなく、民主党にまつわる政治と金のことがやはり噴出していた。それでも、一部のマスコミを除いて多くのマスコミはこのことを一切報じず、「まあ、まあ、政権の座についたばかりだ。しかも初めてのことだから、不慣れなところがもあるだろうから大目に見ましょうよ」「前政権があまりにも酷かったんだから」と言う論調だった。
 
そして、昨年末から鳩山と小沢の金銭スキャンダルの本格的な発覚だ。しかもこの二人、いや民主党の公的な正式な言い訳、主張と言っても良いかもしれない。は、「他がやったことで我々には責任が無い」「それを承知で我々を選んだのは有権者だ。責任の一端は有権者にもある」「権力の暴走だ」「横暴だ」というばかり。責任のなすり合いばかりをして、論点をはぐらかし責任転嫁に邁進中。
 
そしてマスコミは、流石に論調を変えつつあるが、それでもまだまだ「そうだそうだ、検察が悪い、民主党が言うことが絶対に正しい。民主党が言うように権力の横暴、暴走だ。民主党のやることなすことは大目に見てやれよ」という民主党マンセー論調。民主党に対して「言っていることとやっていることが違う」「それは違うでしょう」とは決して言わない。
 
これが多くの有権者が望み選んだ、政権交代の答えなのか?「ダメなものはダメ」「それは違うでしょう」「おかしいでしょう」「間違っているでしょう」と言えない、おかしいことをおかしいと言えない社会の実現を有権者は望んだのか?選んだのか? 
 
 
 
塩野七生著『サイレント・マイノリティ』の中からアテナイの少数派より抜粋引用。
 
 【まず、民主主義者たちは、自由よりも平等を好むものだからだ。なぜなら、自由には、純粋に精神的な満足しか与えられないが、平等は、日々新たに、小さな物質的な満足を与えてくれるからである。平等の概念を急進化した、プロレタリア独裁を思い出すだけで充分だ。これが、個々人の自由の破壊にどれだけ貢献したかを考えるだけで、それ以上の説明の要もないだろう。
 真に自由を尊重する人々は、法を尊重するものである。これら思慮深い人々には、法の確立こそが、国民の活力の無用な消費を防ぐ唯一の道と考えるからである。一方、思慮浅き人々は、人民自体が法である、という彼らの宣言に見られるように、法を尊重しない。とはいえ、思慮深い人々の頭にある善政とは、ただ一つの主義では解決できるようなものではない。民心安定の二大要素である、法の平等な実施と利益の分配は、特定のイデオロギーの成果ではないのだから。】
 
塩野七生著『サイレント・マイノリティ』の中から自由の精神より抜粋引用。
 
【1944年、ローマも 〝開放〟された。
 
 7月1日
 ローマに帰る。まったく、何一つ変わっていない。すべてが、以前のままだ。この点では、ファシズムは永遠なり、とでも言わねばならないようである。昨日起ったことは、今日、同じように起っている。『アヴァンティ』紙(戦前戦中はファシスト党の機関紙、戦後は、社会党の機関紙)には今日、こんな記事が載っていた。
 
 「労働者は、明るい顔をし、背すじがぴんと伸び、歩調がより強くリズミカルで、現在の政治的倫理的回復期を謳歌している」
 
 新らしいレトリックがはじまったようだ。早々に勉強しなくてはなるまい。
 
 同年8月7日
 ファシスト党の首脳たちの下品さと不正直は、青春をファシズムの崩壊を待つことで費消し、ために復讐の念に燃えている老いた教授のモラリズムにとって代わられた。ただし、この人たちは、ファシズムが崩壊した今、彼らの生きがいであったものも同時に失われてしまったことに、つまり、ファシスト党は、これら反ファシストたちの、無害であった反ファシスト運動を正当化できた唯一の党であったことに、気がついていないようであった。
 
 同年8月11日
 新生イタリアの文人たちは、いっせいに左翼を宣言する。なにやら左は、右よりもよほど、ファンタジーが豊かでもあるかのようだ。
 
 同年8月13日
 魚料理をナイフを使って食うというだけで、彼らは、自分たちが左翼であると思いこんでいる。(魚料理の正式な食べ方では、ナイフは使わない。筆者(塩野氏)注)
 
 同年8月19日
 
 「あなたは、民主主義者ですか?」
 
 「かつてはそうでした」
 
 「将来そうなりそうですか?」
 
 「願わくば、なりたくありません」
 
 「なぜ?」
 
 「ファシスト下に、もう一度もどらねばならないからです。独裁政権の下でなら、ようやく、民主主義を信ずることが可能なような気がするので」
 
 同年10月9日
 思想や主義が、わたしを恐怖におとしいれるのではない。恐怖におとしいれるのは、これらの思想や主義を代表する「顔」なのである。】

 

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100120/plc1001201852011-n1.htm

 

この記事が本当だとすると、本当に民主党政権はどこまでバカなんだというしかない。