寒い。日が暮れてから、冷え込んできた。

 

気象庁の天気予報では、今晩遅く(31日未明)から雪が降り出すという。しかも、強い寒波が入り込むようで、大晦日から明けて元旦にかけて天候が荒れるという。

 

そんな年も押し迫って、かつ多くの方が故郷や年越しを凄そうと出向いた先でくつろいでいる頃にこんなことを書くのもなんだが、車で帰省や年越しを迎える先に出かけた方は、車に冬の装備を施しておられるのだろうか?

 

この年末年始にまたいでくる寒波が、どの位の寒さなのか良く分からないが、氷点下30度以下の寒気で、かつ太平洋側にも雪をもたらすようであれば、間違いなく雪が降らない地域の山間部も雪だ。

 

良くこのような話を聞く。「来る時は、昨年は、雪が無くてバンバン走れたのに・・・」と・・・ハッキリ言ってバカだ。今は冬だ、暖冬といわれていても、雪が降る時は降るし、路面だって凍結する。

 

気象庁のホームページに掲載されている「アメダス」によれば、私がいる地方は、30日午後11時観測の気温が「氷点下0.3度」予報では明日の最低気温が「0度」と成っている。山間部はこれより気温が2度から4度は下がる。多分地表付近、路面温度は、場所にもよるが、「氷点下5度」は下回るはずだ。完全に路面は凍結する。しかも予報は雪。完全に雪は積もる。いや、イヤらしい形で路面を覆う。アイスバーンとかブラックアイスといわれる形の路面状態に成りやすい。

 

まあ、こんなことを今頃書いても仕方が無いし、雪道の運転だけは本当に経験だから、マニュアル本、教科書を読んだからといって、その通りの運転が出来る保証なんか無い。問題は、車で出かける先にもよるが、タイヤを冬用にするとか、タイヤチェーンを携行するとかという対策を講じて冬場の長距離ドライブを行うべきだろう、ということだ。ましてや、世の中は年末年始休暇の真っ只中だ。日常的に車など運転しない人だって車を運転するだろう。それだけでも事故が誘発されやすいというのに、雪道になれていないドライバーが大挙して、天候が雪の中を車で走ることと成る可能性大。これこそ危険以外何もでもないだろう。

 

ともかく、頭の中に大晦日から元旦は天候が荒れるということをいれて、安全運転を心がけて年末年始休暇を楽しんでください。それと、四輪駆動だから、前輪駆動だから、ABSだから、という車の性能やタイヤの性能の過信は禁物。走るには走ることが出来ても、車が止まる時は四駆だろうが前駆だろうが同じ。ABSだって冬用タイヤを履いて車間をとっているからこその話で、絶対のものではないことをお忘れなく。

 

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この画像は、2004年の時のもの。この翌々シーズンの冬が、記録的な大雪だったと思う。その記録的な大雪のシーズンは、写真など撮影する気も起きないくらい、毎日除雪除雪に明け暮れていて、雪に参り果ててしまった記憶がある。

 

 

この画像を撮影した時の大雪は、日本特有の湿った雪で、この湿って重い雪が木々の太い枝を折る。下手をすれば、木を幹ごとへし折ることもある。雪が多く降ることも大変なのだが、湿った重い雪であることが大変なのだ。ひとシーズンに一度はこのような大雪が降る。

 

 

この時の積雪量は、豪雪地帯で暮らす人には笑われそうだが、私の膝上まで一晩で降り積もった。所有している車を出すのに苦労した。

 

 

一応、これでも四輪駆動に乗っているのがだ、その四輪駆動のボディーに積もった雪もやはり凄く、その雪落としだけで小一時間かかったろうか。その後、車から落とした雪を片付け、自宅周辺の雪片しとなり、ナンダカンダで三時間近く雪をいじっていた。

 

 

このシーズンの翌々シーズンの大雪では、これが毎日だった。

アメリカと言う国は、本当に面白い国ですね。

 

ご存知の方もいると思いますが、先週の寒波、日本以外の国でも来たらしく、大雪や寒さの被害があったそうです。そんな中、動画をご覧になれば分かるかと思いますが、アメリカの首都ワシントンで、しかも街中で大規模の雪合戦が行われたそうです。

 

当然無許可。

 

 

そこへ、警官が来てひと悶着。「銃を抜いたとか、抜かないとか」「遊んでいるだけで、銃で威嚇した」・・・等々・・・言葉はよく分かりませんが、こんなことを雪合戦で遊んでいる側は言っているようですし、罵声が飛び交っていることが分かります。しかし、警官の行為・行動は当然ですよね。動画を観ると、大通りを挟んで大人数で雪合戦を行っているんですからね。アメリカではこの件を大々的に報じられたようです。
 

 

幾ら「自由の国」と言っても限度がありますね。

 

日本では決してこの様な行為を真似しないように・・・日本で普通の人が行った場合、鳩山総理のように「無罪放免」と言うわけには行かないですからね。罪に問われなくても、大騒ぎになれば職を失う可能性もありますからね。学生であれば、停学の可能性もありますし、後々の就職活動にも影響する事だって考えられますからね。雪合戦を行う場合は他に迷惑がかからない場所で・・・

「オカシナ天候」と言ってしまえばそれまでだけど、先日降り積もった雪があらかた消えてしまった。

 

 

天皇誕生日前夜から昨日朝まで、こちらは雪ではなく雨が降り、そのために先日の寒波で降り積もった雪があらかた消えた。これはこれで、雪国に暮らす者としては非常に助かるのだが、降る時に降らないとなんだか不気味で・・・自然とは面白いもので、このような雪が少ない年でも、必ずその帳尻を合わせてくる。年明け早々大雪が降るとか、春先の大雪、長雨・・・と、まあ、これは私個人の経験上の話で、この自然のつじつま合わせ、帳尻合わせが必ず起こるとは言い切れないが・・・でも、何らかの容でこの雪の少なさを補うはずだ。

 

 

一枚目の画像などは、どう見ても春先のような画像だが、間違いなく今日撮影した。

 

この「公立高校授業料無償化」というのが良く分からないな。これならば、高校まで義務教育にしてしまえば良いだろうに・・・それと私立高校の生徒にも支援金名目で金が出るという?????これって、私学助成だよね?こんなのは昔からあるし・・・自民党政権時もそうだったけど、日本の政治・政治家の悪いところは、ここら辺が不透明というか、本来ならば「憲法」にも関わってくる問題なのに、憲法改正をせずに付帯法というのか、憲法に抵触している疑いがあるまま、日本の国家としての根本に関わる法律を新たに造り出してしまうところなんだよね。そして、その新たに造られた法律が憲法以上に絶対的なものに成ってしまい、気がついてみたら国民が余計な負担を強いられているような気がする。しかもさ、この「高校授業料無償化」も「子ども手当」も、もう「社会主義・全体主義の制度」と言っても過言じゃない制度。まずは憲法改正と税制改正を抜本的に行うのが先だと思うのだが・・・その社会主義的制度を造ろうとしているのが、日本有数の資産家の御曹司なんだぜ。プロレタリア的にいえばさ、国民・労働者の生き血を吸って肥え太った資産家の御曹司が日本の総理なんだぜ。その資産家の御曹司が筆頭でこのような社会主義的・全体主義的制度を造ろうとしている。これはなにか悪い夢でも観ているのかな?

 

この裏を知りたいよね。なぜ義務教育化ではなく、無償化や別に私学助成を行うのか?というその裏を知りたい。

 

 

塩野七生著『サイレント・マイノリティ』の中からアテナイの少数派より抜粋引用。

 
 【まず、民主主義者たちは、自由よりも平等を好むものだからだ。なぜなら、自由には、純粋に精神的な満足しか与えられないが、平等は、日々新たに、小さな物質的な満足を与えてくれるからである。平等の概念を急進化した、プロレタリア独裁を思い出すだけで充分だ。これが、個々人の自由の破壊にどれだけ貢献したかを考えるだけで、それ以上の説明の要もないだろう。

 真に自由を尊重する人々は、法を尊重するものである。これら思慮深い人々には、法の確立こそが、国民の活力の無用な消費を防ぐ唯一の道と考えるからである。一方、思慮浅き人々は、人民自体が法である、という彼らの宣言に見られるように、法を尊重しない。とはいえ、思慮深い人々の頭にある善政とは、ただ一つの主義では解決できるようなものではない。民心安定の二大要素である、法の平等な実施と利益の分配は、特定のイデオロギーの成果ではないのだから。】


鳩山総理といった方がいいのか、鳩山政権、民主党そのもの、といった方がいいのか・・・ともかく現民主党政権は、アメリカの民主党と自分たちは同じ、と思っている?信じて疑わない?節があるようだ。

ご存知のように、アメリカ民主党は「戦争政権」といっても過言ではないくらい、民主党から大統領が選出されている時に戦争を行ってきた歴史的事実がある。このことをふまえず、日本の民主党はアメリカ現政権に対して「アメリカ民主党と我々は同じ民主党だから話せば分かる」と馬鹿の一つ覚えのように言い続けているようにみえる。そこまで馬鹿とはいいたくはないが、鳩山総理を筆頭に現役閣僚の中には「話せば分かる」を絶対のものとして信じて疑わない人が多々見受けられる。

 

以前のエントリーでも書いたけど、強国には戦争か平和かを決める力がある。その強国であるアメリカに「話せば分かる」といったところでどうすることもできないのが日本の現実だ。無条件に強国へ従属・隷属しろとはいわないが、この現実をふまえて外交を行えば良いものを・・・まあ、現政権は外交だけではなく、内政に関しても現実をふまえた政策を行えないようで・・・強国相手に「話せば分かる」という建前論を掲げられるとしたら、独自の軍事力を有さなければできやしない。というより、自前の軍事力を有さないと対等の相手としてみてくれないのが国際社会の常識。現政権の行っている対アメリカの姿勢が、大国からの干渉をさけるための大義名分というのなら少しは理解できるが、現政権の行っていることはそのようには到底見えない。

 

そのようなことを現政権内部で一番理解しているのが小沢幹事長(別名、中国共産党人民解放軍小沢民将軍)なんだろうと思う。が、巷間いわれているように彼は権力を私利私欲の道具としか観ていない節があり、権力を得るにはとんでもない相手とも手を組む気なのだろうしなんでも利用するのだろう。それが良いことか悪いことか判断がつかない。

 

現厚生労働大臣の長妻氏は、以前どこかとのインタビューで「権力を得たら小沢氏は君子豹変する」といっていたが、果たして小沢氏は豹変できるのだろうか?国ために国民のために本当に戦ってくれるのだろうか?私は、このまま手を組んだよからぬ相手に飲み込まれ、その手先と成って日本を食いつぶすように見えて成らない。

 

ちなみに「君子豹変」とは、「あいつはコロコロと態度がかわる」と悪くいわれる言葉ではない。権力を得るまでは酷いことも行ったが、権力を得たならば態度を改めて善政を行う、という意味だ。

 

 

塩野七生著『海の都の物語 5』の中から 第十一話二大帝国の谷間で より抜粋引用

 

【「強国とは、戦争も平和も、思いのままになる国家のことであります。わがヴェネツィア共和国は、もはや、そのような立場にないことを認めるしかありません」】

 

 

塩野七生著『海の都の物語 6』の中から 第十二話地中海最後の砦 より抜粋引用

 

【十七世紀のはじめ、外交官であり歴史家でもあったパオロ・パルータは、著作の一つ『政治生活の熟成について』の中で、次のように述べている。

 

「平和の甘美な果実を味わうのは、あらゆる政治的軍事的活動の究極の目標である。それゆえ、君主国であろうと共和国であろうと、国家の目標を軍事のみに集中し、戦争を繰り返し、国の境界を広げることだけに熱中するのは、その目標達成につながる道では決してない。その道は、多くの他国民を支配することではなく、自国の統治を正義にもとづいて行うことであり、国民に対して、平和と安全を保証することである」

 

まったく、異論をさしはさむ余地もない正論である。

 

政治生活の究極の目標は、個人であれ国家であれ、権力にありとしたマキアヴェッリから一世紀も経つと、これほどまでに〝成熟〟するのかというようなことは言うまい。また、海との結婚を祝祭化することによって、海を自分たちの所有物であるかのように考えてきたヴェネツィア人も、さすがに十七世紀ともなるとマイホーム主義者に変じたか、嘆くようなこともすまい。もしも、ヴェネツィア一国だけでなく他の国々も、パルータと同じように考えるようになったら、世界平和にとってはこれ以上の進歩はないのだから。

 

しかし、マキアヴェッリの著作がルネサンス時代を代表するだけでなく、時代を越えて通用する政治哲学の古典となり得たのは、理想を述べたからではなく、現実を喝破したからである。十七世紀のヴェネツィアは〝成熟〟を完成し、平和の甘美な果実を味わう心境に達したかもしれないが、他の国々は、成熟に向かってわき目もふらずに邁進中であったのが、ヴェネツィアの不幸であった。勝手に平和宣言をしただけでは平和は達成できないところが、永遠の問題なのである。】

まだまだ寒気は居座っているようで、雪に対しての警戒を怠るわけにはいかないが、それでも私がいるところは少し天候が落ち着いたようで、時より雪空の合間から太陽が顔を見せる。

 

と、まあ、現在こんなわけで、今回の寒波で自宅周辺も30センチの積雪になった。

 

 

一枚目は、昨日の朝に撮影したもので、残りの二枚は、今自宅周辺の除雪を行いながら撮影したもの。

 

 

 

場所によれば、積雪が既に1メーターを超えたとか、それに迫る積雪量に達しているところもあるとか、積雪30センチの量の雪を片付けるのにも重労働と言うのに、1メーターと言う量の積雪を生活を維持するために片付けるということは本当に凄い重労働で、コレばかりは雪国や北国に暮らした者ではないと分からないだろう。

寒いですね。

 

気象庁の発表によると氷点下40度以下の寒気が日本上空に入り込むのだとか。その為に大雪に警戒してくださいと呼びかけている。

 

この発表が本当なら、既に私のところでも雪が降り積もっていてもおかしくはないのだが、本格的な雪はこのブログを書いている時点で降り出していない。

 

まあ、雪国に暮らす者としては、冬に雪が降る、積もるということは当たり前のことだからそう苦にしたものではないが、いっぺんに大量の雪が降り積もるのは流石に困る。雪の為に時間と労力を物凄く取られるからだ。その為に、出来れば降ったとしても大した事が無いことを願う。

 

だけど、どのようなメカニズムになっているのか分からないが、ついこの間まで「暖冬」等と言われていたはずだし、地球も「温暖化している」といわれているのに、氷点下40度以下の寒気が南下してくるということは如何いうことなのだろう?

 

まあ、こんなことをいうと「エコ」とか「温暖化」を声高に喚いている連中は屁理屈を弄し、意味不明ことを撒き散らして誤魔化してしまうのだろうが・・・

 

ともかく、何でもそうだが「程々」が一番良い。極端すぎるのは疲れるだけだ。

 

ついに始まったのだ。これからは本当に息苦しく、暗い時代になる。多分、戦前戦中よりも最悪な暗黒時代になるだろう。

 

そこで、何度も引用しているが、また塩野氏の著作を引用しておく。引用した文章を今日本で起きていることに当てはめて考えてみて欲しい。

 


塩野七生著『サイレント・マイノリティ』の中から全体主義についてより抜粋引用。

 
【私は、失望することのほうが、オカシイと感じた。人間的な共産(社会)主義なんて、ありえようはずがないのである。スターリンのほうが、よほど首尾一貫している。バカなのは、そういう社会が実現可能だと信じていた良心的なインテリたちである。私が真の共産主義者ならば、彼らのような人間は社会に害毒をおよぼす人種と断じ、粛清でもなんでもして、消してしまったであろう。政治的センスのない良心的な人々が、政治に口をだすことほど害なものはない。とくに、それらの人が、社会的名声など持っていたりすると・・・・、とソ連の支配者が思ったとしても、あの国の政体からすれば、当然ではないかと思う】

 
【第二に、相対的な考え方を排して、絶対的ななにかを求める動きである。気持は、わからないでもない。相対的な考え方をまっとうするには、実に強靭な精神力を必要とするからである。多くの人にそれを求めることほど、非現実的なことはない。それ一つですべてを律し切れるオールマイティな考え方を持つほうが、よほどラクだし、マジョリティがどういうことを好むかを考えれば、よほど〝自然〟である。

 しかし、この動向が、善意から生まれ、進歩派からいいだされ、若者たちが旗を持ち、比較的にしても少産階級が温床となり、クリーンで潔白で完全主義者の人々が群れの先頭に立ち、しかも情緒的に表現しはじめると、私は怖いことになる危険を、感じずにはいられない。

 なぜなら、これらの性質を強くあらわせばあらわすほど、大衆の好意を獲得するのに容易になるからである。そして、サイレント・マジョリティと結びついた後は、全体主義は、動向から完結への道を邁進するだけである。

 コンセンサスを、ヒットラーもムッソリーニも、昨今の民主主義体制よりはよほど享受していた時期があったことを、忘れてはならないと思う。そして、全体主義下ではなぜか文化が花開かないかは、文化史上の問題だけではないということも】

 
同じく『サイレント・マイノリティ』の中からアテナイの少数派より抜粋引用。

 
 【まず、民主主義者たちは、自由よりも平等を好むものだからだ。なぜなら、自由には、純粋に精神的な満足しか与えられないが、平等は、日々新たに、小さな物質的な満足を与えてくれるからである。平等の概念を急進化した、プロレタリア独裁を思い出すだけで充分だ。これが、個々人の自由の破壊にどれだけ貢献したかを考えるだけで、それ以上の説明の要もないだろう。

 真に自由を尊重する人々は、法を尊重するものである。これら思慮深い人々には、法の確立こそが、国民の活力の無用な消費を防ぐ唯一の道と考えるからである。一方、思慮浅き人々は、人民自体が法である、という彼らの宣言に見られるように、法を尊重しない。とはいえ、思慮深い人々の頭にある善政とは、ただ一つの主義では解決できるようなものではない。民心安定の二大要素である、法の平等な実施と利益の分配は、特定のイデオロギーの成果ではないのだから。】

 

同じく『サイレント・マイノリティ』の中から第二の人生より抜粋引用。

 
 【ジョヴァンニ・ダーリオは、外交官生活の間に職務として送った数々の報告書の一つに、次のような一文を記している。

「良識とは、受け身に立たされた側の云々することであります。反対に、行動の主導権をにぎった側は、常に非良識的に行動するものです」】
 

 
塩野七生著『海の都の物語 1』の中から第三話 第四次十字軍より抜粋引用。

 
 【数年前、日本で、ある人にこんな質問をされたことがある。

 
「現実主義者は、それが個人であっても国家であっても、なぜ常に憎まれてきたのだろう」

 
もちろん、彼と私の間では、現実主義についての定義づけを、あらかじめすることなど必要ではなかった。われわれ二人にとっては、現実主義とは、現実と妥協することではなく、現実と闘うことによってそれを切り開く生き方を意味していたからである。
だが、その時の私は、彼の質問に答えることができなかった。しかし、今ならば、それができるようなきがする。

 
「現実主義者が憎まれるのは、彼らが口に出して言わなくても、彼ら自身そのように行動する事によって、理想主義が、実際は実にこっけいな存在であり、この人々の考え行うことが、この人々の理想を実現するには、最も不適当であるという事実を白日のもとにさらしてしまうからです。
理想主義者と認じている人々は、自らの方法上の誤りを悟るほどは賢くはないけれど、彼ら自身がこっけいな存在にされたことや、彼らの最善とした方法が少しも予想した効果を生まなかったを感じないほど愚かではないので、それをした現実主義者を憎むようになるのです。だから、現実主義者が憎まれるのは、宿命とでも言うしかありません。理想主義者は、しばしば、味方の現実主義者よりも、敵の理想主義者を愛するものです。」】
 


~引用終わり~

 

I vow to thee, my country(我が祖国よ、汝に誓う)

 

我が祖国