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ご存知の方が多いと思うが、欧米社会は「契約社会」と言っても良い。なぜそうなったかと言うと「キリスト教の影響が大きい」ということらしい。

 

コレもご存知だろうが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は「一神教」だ。唯一絶対の神だけを信仰しそれ以外の神々を認めない。信仰とは?神とは?と言う神学論争を書くつもりはない。だが、兄弟同士と言っても良い、この三宗教の価値観で共通しているのは、「神との契約」と言う概念だ。この神との契約が、今日の我々が考える契約概念と結びついている。

 

アメリカの大統領の就任式をテレビでご覧になった方も多いだろう。衆人環視のなかで大統領に就任する人物は、聖書に手を添えて大統領になることを宣誓する。これは、神に対して、神を信ずる国民に対しての宣誓なのだ。神と国民と契約を交わしたという宣言であり、神と国家国民への忠誠を誓い、忠誠を尽くすという宣言なのだ。

 

形が違うように見えるヨーロッパ君主国での戴冠式もやはり同じだ。神に対して、王になることを、王として、世俗界の統治者として神へ忠誠を誓う。そして、神(実際は神の代理人)から王になることを認めてもらうのだ。王として、世俗界での統治者として神と契約を交わすのが戴冠式なのだ。その契約が成立すると、神の名において世俗界での統治者(神公認の絶対者)としての権利を堂々と行使できるようになる。その逆も然りで、神への義務も果たさなくてはならなくなる。聖書やコーランには、神の人間への権利と神を信ずる者、神へ帰依した者、神へ忠誠を誓った者の権利と義務が書かれている。その権利と果たすべき義務が戒律であり、法なのだ。

 

この概念は、日本にも古くからあり、天皇の即位式のときに見られるし、結婚式での神道式神前結婚、誓詞を交わすとことにも残っている。

 

ただ、この「神の名において」と言うことの弊害があまりにも大きすぎたので、先進国では「政教分離」を明確にした。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」と言う考え方だ。だが間違いなく、この神との契約が、今日の先進国における契約概念、法概念、国家観、国家概念を形成している、と個人的には思う。

 

それ以前に、権利と義務の概念を理解していなければ契約云々、宣誓云々、国家観云々、忠誠云々と言っても無理だし、それ以上に、人間の歴史を語る上で、現代の多種多様な価値観を理解する上で、宗教的なことを知らなくては神学論争以上に不毛な議論になる。いまの日本人は、そのことが抜けているように見える。我々現代人は、過去に育まれた価値観、概念を土台にして現代社会を形成している。過去に育まれた価値観、概念を全否定するということは、人間そのものの全否定に繋がるのではないだろうか?・・・

 

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