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リンク先の動画をご覧になって、どのように判断されるかは各々の自由。しかし、この動画の番組は、事件の裁判判決を「結論ありき」と断じていながら、番組自身も「特定の方向への誘導」「結論ありき」で事件を報じているように見受けられる。

 

1/2 みのもんた BPO「重大な放送倫理違反」2度目 ~割り箸事件+元場面

http://www.youtube.com/watch?v=Xbs_jnm8JGI

 

2/2 みのもんた BPO「重大な放送倫理違反」2度目 ~割り箸事件+元場面

http://www.youtube.com/watch?v=SP2wSPhw2xk&feature=related

 

まあ、いくらテレビマスコミが「公正・公平・中立・客観性の報道」と言っても無理があるわけで、ただ、この様な番組(マスコミ)が、社会正義だとかナントカ言って、世の中の事象・事件を無責任過ぎるスタンスで報じるのが最低最悪なんだけどね。そこで以前引用掲載した文章なんだけど、もう一度引用掲載しておく。


[夏休みオープンカレッジ:第三回]
 「客観的報道」と「偏向報道」
~朝日新聞は本当に偏向しているのか~


 夏休みオープンカレッジ第三回のお題は「『客観的報道』と『偏向報道』」。


 萬保大学を受講している中学生(えらい!)からのメールに、「朝日新聞が偏っている事は知っていたのですが云々」と、あっさり書いてあったけど。
 

 やっぱ、朝日新聞の偏向報道というイメージは、相当広く国民の間に定着しているみたいだね。
 ごく普通の中学生から、「朝日新聞が偏っている事は知っていた」なんて当然のことのようにいわれてしまうと、朝日としても立つ瀬がないだろうけど。


 でもさ。


 朝日新聞は、べつに偏ってないと思うよ。


 偏っているというのは、その偏向の度合いをはかるための絶対的基準となるものがどこかに存在すことを前提とした評価だけど、そんな絶対的基準なんてものはどこにもないからさ。


 一般に「朝日新聞が偏向している」というときに念頭に置かれている絶対的基準は、いわゆる「客観的報道」ということになるんだろうけど。


 「客観的報道」なんて、存在しないからね、この地球上に。たしか地球物理学者の竹内均先生もNHK教育テレビの地学の講義でそんなことをいっていたように記憶しているし。
 

 「客観的報道」とほぼ同義で用いられている「中立的報道」というのも右に同じで、少なくとも太陽系には存在しないことがボイジャーの探索によって確認されているはずだよね。


 そもそも報道というのは、これ以上主観的な営みはちょっと他にはないんじゃないかというくらい、徹底的に主観的な作業でさ。


 とくに大手の報道機関ともなると、24時間365日or366日世界中から送られてくる膨大な量の情報について、①どの情報を報道してどの情報を報道しないか取捨選択して、さらに、②各々の情報の重要度をランク付けしたうえで、③分量や時間配分を調整する、という、主観のかたまりのような作業を経たうえで、情報を最終的に受け手のもとに送り届けるわけでしょ。
 

 だから、報道機関の発信する情報は、その報道機関の主観を全面的に反映した徹頭徹尾主義的な産物であって、どのような意味でも客観的なものではあり得ないんだよね。
 

 それにもかかわらず、日本の新聞社やテレビ局は、「客観的報道」とか「中立的報道」なんぞという、ありもしないものを社の報道方針として平気で掲げて涼しい顔をしているもんだから、国民もうっとりとそんなものかなぁと信じこまされちゃったわけだ。


 それじゃ、なんで日本の新聞社やテレビ局は、そんなありもしない嘘八百を並べ立てて、つまりは国民を欺いてまで「客観的報道」とか「中立的報道」をしているフリをしたがるのか。


 発生した結果に対する責任を一切とりたくないから、なんだよね。


 報道と因果関係のある何らかの結果が発生した場合に、それがあくまでも客観的報道、つまりは会社や記者の主観的見解ではなくたんなる事実の機械的描写にすぎいないのだということにしておけば、発生した結果にたいする報道機関の責任は原則として問われないからさ。
 

 もちろん、責任をとりたくないのは都合の悪い結果が発生した場合だけで、都合のいい結果が出れば「オレがオレが」で、自分の手柄を主張したがるんだけどね。


 ひとことでいって、責任回避のことなかれ主義体質の産物。


 この日本の新聞社やテレビ局の責任回避のことなかれ主義体質を、国民の前にいやというほど見せつけてくれたのが、例の椿事件。


 テレビ朝日報道局幹部の椿某なるオッサンが、細川内閣の誕生はてめえの会社の報道番組のおかげ(田原総一郎と久米宏の名前をあげていた)だと吹聴しているという情報を聞きつけた自民党の国会議員が、政権を奪われた腹いせにテレビ朝日の社長を国会に喚問した一件だね。


 喚問の根拠は、仮に椿発言が事実だとすれば、放送法が定めている「政治的に公平で中立的な報道」をするべきという準則に違反するのではないかと、そういう理由。


 で、国会に喚問されたテレビ朝日の社長(親会社の朝日新聞から天下った人だけど名前は忘れた)は、泣きそうになりながら平謝りに謝っちゃった、と。


 最低だな。


 一説によると、その社長の足元だけ国会の赤じゅうたんが黒ずんでいたらしいから、たぶん小便ちびってたんだろうね、朝日新聞から天下った社長。
 

 最低だよ。


 報道の内容を糾弾するためにテレビ局の社長を国会に呼びつけるなんざ、国家権力による言論の自由に対する弾圧以外のなにものでもないだろうに。
 

 そもそも放送法の「政治的に中立・公平」の規定は、たんなる訓示的規定にすぎないもんだから(もしも法的拘束力をもっているとしたら文句なしに違憲)、無視してかまわないんだし。


 だから、朝日新聞から天下った社長は、仮に椿発言が事実だとしても、なにひとつ謝罪する必要はなかったし、自分を呼びつけた自民党議員を逆に恫喝するくらいの気概を国民の前に示すべきだったわけだ。


 にもかかわらず。
 

 誤っちゃったんだよね。小便ちびって。


 テレビが免許事業でお上に頭があがらないなんていうのは、つまらない言い訳でさ。
 

 結局は、朝日新聞から天下ったテレビ朝日の社長が、報道の意義や言論の自由の意義を、まったく理解していなかったために、ああいう醜態をさらしてしまったという、それだけのことなんだけど。


 「これからは心を入れかえて、中立・公平なことなかれ報道に努めます」ってさ。
 

 戦後、日本の報道界をリードしてきたと自他ともに認める天下の朝日新聞のエリート社員(テレビ朝日の社長に天下ることができるのは、朝日新聞でかなりの地位までいったエリート)の頭の中身は、その程度なんだよね。
 

 報道が徹頭徹尾主観的な行為である以上、見解の対立する政党や政策をとりあげるさいに、どれか特定の政党や政策により多くのウェートを置くのは当然のこと。
 

 そうでなくちゃ、並立していくつもの報道機関が存在する意味なんてないものな。
 

 要は、新聞もテレビも、自分達には長期土建屋政権をひっくり返してバカ殿政権を樹立したり、バブル政党に追い風を吹かせたり、パー(マ犬)の総理を国民的ヒーローに仕立て上げたり、そういうとんでもないことができるだけの力があるんだということを、常に肝に銘じてさ。


 それで、何かマズイ結果が出たら、そのときは会社として、場合によっては個人として、きちんと責任をとる。


 それだけの覚悟をしたうえで、報道という仕事に従事しなくちゃダメなんだよ。


 ところがどうだい。
 

 おいしところだけネコババして責任とるのは回避したいってんで、「客観的報道」だの「中立報道」だの、あらかじめ逃げ口上を用意してるんだもんな。


 そんでもって国会に呼ばれたらションベン黒じゅうたん。
 

なによりも哀れなのは、そんな奴らのつくった新聞や報道番組を、真面目に読んだり観たりしているJapanese People。
 

ご愁傷さま。
 

というわけで。
 

 名目上はともかく、実際には「客観的報道」や「中立的報道」というのはどこにも存在しないわけで、あるのは「朝日新聞的報道」や「産経新聞的報道」や「赤旗新聞的報道」や「聖教新聞的報道」や「日本放送協会的報道」だけ。


 しかも、どれもべつに偏っているわけではなくて。
 

 たんに各々の社の方針に則った報道をしているだけ。


 よって、朝日新聞も朝日新聞的報道をしているだけにすぎず、それを偏向報道と呼ぶのは間違い。
 

ということだね。
 

 じゃ、今回の講義はここまで。
 

 あ、あと念のため。
 たしかに朝日新聞は偏っていないんだけど。
 とてつもなくクレイジーであることは、たしかだね。


~引用終わり~

 

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