選挙の結果はほぼ決まったみたいだ。その選挙結果をうけて、どうしても次の文章を思い出してしまう。


塩野七生著『海の都の物語 1』の中から第三話 第四次十字軍より抜粋引用。

 

 【数年前、日本で、ある人にこんな質問をされたことがある。

 
「現実主義者は、それが個人であっても国家であっても、なぜ常に憎まれてきたのだろう」

 
もちろん、彼と私の間では、現実主義についての定義づけを、あらかじめすることなど必要ではなかった。われわれ二人にとっては、現実主義とは、現実と妥協することではなく、現実と闘うことによってそれを切り開く生き方を意味していたからである。
だが、その時の私は、彼の質問に答えることができなかった。しかし、今ならば、それができるようなきがする。

 
「現実主義者が憎まれるのは、彼らが口に出して言わなくても、彼ら自身そのように行動する事によって、理想主義が、実際は実にこっけいな存在であり、この人々の考え行うことが、この人々の理想を実現するには、最も不適当であるという事実を白日のもとにさらしてしまうからです。
理想主義者と認じている人々は、自らの方法上の誤りを悟るほどは賢くはないけれど、彼ら自身がこっけいな存在にされたことや、彼らの最善とした方法が少しも予想した効果を生まなかったを感じないほど愚かではないので、それをした現実主義者を憎むようになるのです。だから、現実主義者が憎まれるのは、宿命とでも言うしかありません。理想主義者は、しばしば、味方の現実主義者よりも、敵の理想主義者を愛するものです。」】


政治とは理想を追求する物なのだろうか?政治は現実社会での諸問題、矛盾を現実的に是正し解決する手段ではないのか?

 

このブログを書いている時点、社民党の福島氏がNHKに出演し、NHKのアナウンサーが福島氏に「この結果を受けて、社民党は政権与党になるわけですが・・・」と質問していた。マスコミは完全に社民党が政権に参加すると思っている。

 

もう選挙の結果は覆らないことはわかっている。その現実を受け入れるしかない。しかし、社民党のような政党と連立を組む、いや、党内に社民党と考えを同じくする勢力を抱えた民主党に国民・有権者は何を期待したのだろう?鳩山氏が述べていた訳の分からない理想に期待したのだろうか?それとも民主党内で見え隠れしている小沢氏の豪腕か?

 

あとで多くの国民・有権者は「俺はあの時から・・」「やっぱりなおかしいと思っていたんだ」と言い訳するのだろうか?

 

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塩野七生氏の文章を再度引用掲載します。


塩野七生著『サイレント・マイノリティ』の中から全体主義についてより抜粋引用。

【私は、失望することのほうが、オカシイと感じた。人間的な共産(社会)主義なんて、ありえようはずがないのである。スターリンのほうが、よほど首尾一貫している。バカなのは、そういう社会が実現可能だと信じていた良心的なインテリたちである。私が真の共産主義者ならば、彼らのような人間は社会に害毒をおよぼす人種と断じ、粛清でもなんでもして、消してしまったであろう。政治的センスのない良心的な人々が、政治に口をだすことほど害なものはない。とくに、それらの人が、社会的名声など持っていたりすると・・・・、とソ連の支配者が思ったとしても、あの国の政体からすれば、当然ではないかと思う】

【第二に、相対的な考え方を排して、絶対的ななにかを求める動きである。気持は、わからないでもない。相対的な考え方をまっとうするには、実に強靭な精神力を必要とするからである。多くの人にそれを求めることほど、非現実的なことはない。それ一つですべてを律し切れるオールマイティな考え方を持つほうが、よほどラクだし、マジョリティがどういうことを好むかを考えれば、よほど〝自然〟である。
 しかし、この動向が、善意から生まれ、進歩派からいいだされ、若者たちが旗を持ち、比較的にしても少産階級が温床となり、クリーンで潔白で完全主義者の人々が群れの先頭に立ち、しかも情緒的に表現しはじめると、私は怖いことになる危険を、感じずにはいられない。
 なぜなら、これらの性質を強くあらわせばあらわすほど、大衆の好意を獲得するのに容易になるからである。そして、サイレント・マジョリティと結びついた後は、全体主義は、動向から完結への道を邁進するだけである。
 コンセンサスを、ヒットラーもムッソリーニも、昨今の民主主義体制よりはよほど享受していた時期があったことを、忘れてはならないと思う。そして、全体主義下ではなぜか文化が花開かないかは、文化史上の問題だけではないということも】

同じく『サイレント・マイノリティ』の中からアテナイの少数派より抜粋引用。

 【まず、民主主義者たちは、自由よりも平等を好むものだからだ。なぜなら、自由には、純粋に精神的な満足しか与えられないが、平等は、日々新たに、小さな物質的な満足を与えてくれるからである。平等の概念を急進化した、プロレタリア独裁を思い出すだけで充分だ。これが、個々人の自由の破壊にどれだけ貢献したかを考えるだけで、それ以上の説明の要もないだろう。

真に自由を尊重する人々は、法を尊重するものである。これら思慮深い人々には、法の確立こそが、国民の活力の無用な消費を防ぐ唯一の道と考えるからである。一方、思慮浅き人々は、人民自体が法である、という彼らの宣言に見られるように、法を尊重しない。とはいえ、思慮深い人々の頭にある善政とは、ただ一つの主義では解決できるようなものではない。民心安定の二大要素である、法の平等な実施と利益の分配は、特定のイデオロギーの成果ではないのだから。】

 


さて今回の選挙後に、日本はどのようになるのでしょう?引用した文章で危惧されているような危険なことが待っているでしょうか?しかし例え危険なことが待っていたとしても、引用した文章にも書いてあるように、選挙後にできるであろう次期政権にコンセンサスを与えたのは我々国民・有権者です。選挙後の日本に最悪のことが待っていようとも、その結果を、現実を、我々は受け止めなくてはならないでしょう。民主主義は本当に難しい・・・

 

 

前回エントリした【縄張り争い?繁殖のため? 】の続きです。

 

簡単に画像を編集し、トリミングして蝶たちを観やすくしてみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

如何でしょう?完全に一匹の蝶が、もう一匹の蝶を追いかけ回していることがハッキリとお分かりでしょうか?最初の三枚は、追いかけているというより、襲っている、と言っても良いかもしれません。

 

自然界は厳しいですね。そして、我々人間がイメージしている蝶の姿とは全然違います。いや、これが自然界、野生に生きる物たちの姿ですね。

また蝶の飛翔シーンの画像なのだが、面白い画像が撮影できたのでアップしてみた。

 

 

眼を凝らしてよく観ないとわからないだろうが、一匹の蝶が、もう一匹の蝶を追いかけまわしている。繁殖のため?それとも縄張り争い?・・・

 

 

 

 

 

撮影した画像枚数40数枚。しかもカメラの連写機能を屈指して二匹の蝶の動きを連続して撮影している。撮影した画像すべてを観てもらえば二匹の蝶が何を行っているのかハッキリするのだろうが、すべての画像をアップするとなると色々と面倒なので限られた枚数でご勘弁を・・・

 

お遍路(菅直人民主党代表代行)

 小泉・竹中路線を進める大きな力を貸したのは公明党自民党が政権を放さないで来たのは、公明党創価学会の力。力が怖くて、あまり政治家は大きな声で(そのことを)言わなかった。私も時には「仏敵」といわれたが、お遍路に行っているから大丈夫。(大阪市で街頭演説)

 


と、民主党の菅氏は街頭演説で述べたそうだ。これには一理ある。だけど、民主党とて旧社会党や極左テロ集団たちと手を組んでいるではないか。いまの自民党とそう変わらない。いや、それ以上に最悪な政党・政権になるかもしれない。仮に民主党が政権を得たら、この極左たちの意向を反映する形の政権運営を行う筈だ。現に、外患誘致と取られても仕方がない政策を行うとしているではないか。

 

個人的な考えとしては、自民は公明・創価と手を切るべきだし、民主は党内に巣食う極左と極左からの支援を切るべきと考える。そうすれば・・・二大政党制が良いのか悪いのか判断できないが・・・民主が掲げていた「二大政党制」も現実味をおびて来る筈だし、本当の意味での政治が戦後の日本で初めて行われるかもしれない。いや、本当の意味での戦後が日本で終わり、日本の政治が本当に変わるかもしれない。

 

 

塩野七生著『サイレント・マイノリティ』の中から全体主義についてより抜粋引用。
【私は、失望することのほうが、オカシイと感じた。人間的な共産(社会)主義なんて、ありえようはずがないのである。スターリンのほうが、よほど首尾一貫している。バカなのは、そういう社会が実現可能だと信じていた良心的なインテリたちである。私が真の共産主義者ならば、彼らのような人間は社会に害毒をおよぼす人種と断じ、粛清でもなんでもして、消してしまったであろう。政治的センスのない良心的な人々が、政治に口をだすことほど害なものはない。とくに、それらの人が、社会的名声など持っていたりすると・・・・、とソ連の支配者が思ったとしても、あの国の政体からすれば、当然ではないかと思う】

 

先日、トンボの飛翔シーンが撮影できた事で、調子に乗って今度はアゲハチョウの飛翔シーンを撮影してみた。

 

 

 

 

▽友愛は甘くない

 鳩山由紀夫民主党代表 「友愛」は決して甘くない。実践には大変な勇気が要る。切らなきゃいけないものもたくさんある。無駄遣いをばっさり切り、本当に大事なものを育てる政治をつくろう。(茨城県つくば市で街頭演説)

 

青空が見える

 岡田克也民主党幹事長 政権交代で何が変わるのか、よく聞かれる。すべてが変わる。今までのしがらみを断ち切って新しい政治が始まる。頭の上を覆っていた黒い雲が晴れ青空が見える。それが政権交代だ。(兵庫県西宮市で街頭演説)

 

 


と鳩山氏と岡田氏は選挙の街頭演説で語ったそうだ。彼らの信念と言うか、彼らの考えてる社会、実現しようとしてる社会と言うのがどのようなものかよく理解できない。だけど、何事も極端に成りすぎると最悪の結果が待っている事は確かだ。歴史がそのことを雄弁に物語っている。

 

 

塩野七生著『サイレント・マイノリティ』の中から全体主義についてより抜粋引用。

【第二に、相対的な考え方を排して、絶対的ななにかを求める動きである。気持は、わからないでもない。相対的な考え方をまっとうするには、実に強靭な精神力を必要とするからである。多くの人にそれを求めることほど、非現実的なことはない。それ一つですべてを律し切れるオールマイティな考え方を持つほうが、よほどラクだし、マジョリティがどういうことを好むかを考えれば、よほど〝自然〟である。
 しかし、この動向が、善意から生まれ、進歩派からいいだされ、若者たちが旗を持ち、比較的にしても少産階級が温床となり、クリーンで潔白で完全主義者の人々が群れの先頭に立ち、しかも情緒的に表現しはじめると、私は怖いことになる危険を、感じずにはいられない。
 なぜなら、これらの性質を強くあらわせばあらわすほど、大衆の好意を獲得するのに容易になるからである。そして、サイレント・マジョリティと結びついた後は、全体主義は、動向から完結への道を邁進するだけである。
 コンセンサスを、ヒットラーもムッソリーニも、昨今の民主主義体制よりはよほど享受していた時期があったことを、忘れてはならないと思う。そして、全体主義下ではなぜか文化が花開かないかは、文化史上の問題だけではないということも
 

昨日、ほぼ一日中カメラで虫の飛翔シーン撮影にチャレンジし続けた。その結果・・・100枚近く撮影した中で、アップした画像だけどうにか観られる画像だった。

 

 


 

 

しかし、本当に便利になったものです。フィルムのことを考えずに何度でもチャレンジできるのですから・・・下手な鉄砲も数撃てば中る、と言うヤツですね(笑)

【有本恵子さん】田原総一朗氏に対する提訴について[桜 H21/8/20]

 

 

 

候補者の皆さんご注目! シラケる選挙戦ランキング
選挙カー「暴走族よりタチが悪い」

 
涙の訴えにはもうウンザリ-。エフエム東京が若年層を対象に30日投開票の総選挙について「思わずシラケる選挙戦」というテーマで調査したところ、大音量の選挙カーや街頭演説、たすきや白手袋など旧来型の選挙活動にブーイングが集中した。エコブームで注目される自転車行脚にも冷たい視線が向けられるなど、候補者の“カン違い”が浮き彫りになる結果となった。

 

http://www.zakzak.co.jp/top/200908/t2009082035_all.html

 


鋭いね。若年層が選挙に関心がなくなってしまうのは、この様な昔ながらの選挙運動にヘキヘキしているところが本音としてあるんだろうね。実際、自分自身も若いころ選挙って、ただ五月蝿いだけ、と言う感じだったしね。