「タテカンカエシテ」京大、タテカン撤去後すぐ新たな看板登場


まずはリンク先にて、リンク先の記事に貼り付けられている記事画像をご覧いただきたい。


言論の自由、表現の自由等々大いに結構。しかし、以前も京大名物?とされる「立て看板」に関してエントリしたが、そのエントリにて街の景観とか言論・表現の自由以前と私は記した。

リンク先の記事画像を見ると、その考えは間違えがなかった、と思わずにはおられない。

リンク先の画像を見れば明らかで、画像の様な大きな看板には「看板が倒れた場合」「強風で煽られ飛んでしまった場合」という事を考えた対策が取られていない、と見受けられる。

これじゃ、いくら「言論・表現の自由」を喚こうが、私は認めることはできない。

というか、以前も記したが、大学生ともなれば社会的責任を負わねばならぬ年齢。もしもその看板で事故が発生した場合、看板設置した者がその責任を全て負わねばならない、という事を知らねばならないのだ。

現実は厳しい。「若気の至り」では済まないのだ。

学生の身分じゃ、政治活動・運動に現を抜かす大学教職員たちでは、絶対に無理という賠償金を求められることだってあるのだ。


従順であれ、と学生たちに私は言わない。大いに抗えば良い。しかし現実は厳しく、本当の世の中は大学という檻で守られた限定された場所とは違う、という事を学生たちに教える大人がいなくてはダメだ、とも思うのである。


おまけ引用記事

 看板は歩道に面した敷地内に立ち、縦約2・8メートル、横約4メートルで、講座やイベントの案内が掲示されていた。事故があった際には完全に歩道側に出ていた状態だったという。

 問題はその責任の所在だ。弁護士の高橋裕樹氏は「被害者が看板を揺すっていたなどの過失がなく、看板が湯島聖堂が設置、保存するものだった場合、湯島聖堂に全面的に責任がある。民事で済むとは思うが、仮にぐらついていた物を放置していたなど明らかに管理に問題があったとすれば業務上過失致死傷として刑事訴追になる可能性もある」と指摘する。

 賠償額については、「両下肢まひの後遺症になると、芸能活動の内容などに関係なく、労働能力を100%喪失していると判断される可能性がある。露出が多く知名度のあるアイドルが将来的な夢を奪われたことの慰謝料は、一般の女性に比べて高額になることもありうる。アイドルの収入の度合いにもよるが、将来的な収入を奪われたこと(逸失利益)や介護費と慰謝料なども含めれば、5000万~1億円超になる可能性もある」と高橋氏。

【看板の下敷きになり下半身まひの猪狩ともか 設置した湯島聖堂の責任は】より


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ゴール倒れ男子軽傷 南アルプスの中学校 /山梨
毎日新聞2018年4月7日 地方版

6日午後3時15分ごろ、南アルプス市の白根御勅使中の校庭で、部活動をしていたサッカー部の男子生徒(14)が、強風で倒れたゴールポスト(高さ2・1メートル、幅3・1メートル)に左足を挟まれた。南アルプス署によると、生徒は軽傷という。

甲府地方気象台によると、6日午前11時ごろから県内中西部には強風注意報が出ていた。甲府市内では午前10時50分ごろ、最大瞬間風速19・7メートルを記録していた。【井川諒太郎】


ということを、毎日新聞地方版であるが、報じておった。

確か、以前も同じ様な「事故」があり、新聞テレビの論調は「学校側の管理が〜」「責任が〜」と大騒ぎしておった様な記憶が・・・

さて、この引用記事で報じていることと同じ様に?論じたり考えたりすることは一概?にはできないかもしれないが・・・

タテカンだめなら「垂れ幕」で 京大生らが対抗策
興津洋樹、向井大輔2018年5月2日05時04分

京都大学吉田キャンパス(京都市左京区)の周囲に並ぶ立て看板(通称タテカン)を制限する京大の規定が施行されたことに対し、京大の教職員、学生ら有志の会が1日、タテカンならぬ「垂れ幕」を学内に掲げ、抗議の意思を示した。

「自由と平和のための京大有志の会」は約10人の教員を中心に安保法制に反対する運動などをしてきた。垂れ幕は縦180センチ、横125センチ。会の標語「生命(いのち)は、誰かの持ち駒ではない」を意味する英語などが書かれている。見た人がその意味を自由に感じ取ってほしいとしている。

同会の藤原辰史(ふじはらたつし)・人文科学研究所准教授(41)は「大学で起きていることを市民に伝えるタテカンをなくすと、大学の創造性を失うことにつながりかねない」と話した。

大学広報課はこの垂れ幕が規定に違反するのかどうか「すぐには回答できない」としている。(興津洋樹、向井大輔)

・・・ということに当てはめてみると如何であろうか?

自由や平和、主義主張を知らしめる、創造性を育む・・大いに結構。しかし仮に、その立て看板や垂れ幕が強風に煽られて飛んでしまい、歩行者や車両の交通を妨げ、挙句「事故を誘因した」となったら、その責任は誰にあるのであろうか?

誰が、被害者を救済し保証・補償するのであろうか?

この様に申し上げるとなんだが・・・大学生ともなれば、大学教職員も、社会的責任を負わねばならぬ年齢なのだから、そこら辺のことへ考えが及ばないのが不思議でならない。


昨年の五月に、次のようなエントリをアップしたことがあります。

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「痴漢」申告された30代男性、線路に飛び降りはねられ死亡 東急田園都市線青葉台駅
http://www.sankei.com/affairs/news/170515/afr1705150037-n1.html

この事件のことで、色々と議論になっている様ですね・・



痴漢冤罪を回避?「名誉毀損」を訴えた男性に注目集まる
http://top.tsite.jp/news/buzz/o/35567693/


痴漢疑われたらどうすれば... 逃走頻発に「男女別車両の導入」求める声も
http://www.huffingtonpost.jp/2017/05/16/molestation_n_16632374.html


まあ、以前より「痴漢冤罪」ということも問題になっているし、一部私鉄では「女性専用車両」というのがあり、その「女性専用車両」というのもなんだかんだとある様です。

それはさておき・・・不幸な事件であるわけですが、この話を知って次の言葉を思い浮かべました。

【男女七歳にして席を同じうせず】

または・・・

【男女七歳にして同衾(どうきん)せず】

どちらも同じ意味なんですがね。


何が言いたいか?と言いますとね。

戦前が〜、ということで、何でもかんでも「自由」であり「平等」になったはずで、かつ今現在も「過剰?」いや「異常」の方が正確でしょうね。異常なまでに女性の人権が〜・・と求める方がおりますけど、その求めている方って結局、求めている方が忌み嫌っている「戦前」とか「男女七歳にして席を同じうせず」ということを絶対の正義として掲げているんじゃなかろうか?と思いましてね。

なお、痴漢は「犯罪」です。それは厳しく処断されねばなりません。しかし、先ほども書きましたが「痴漢冤罪」ということがあることも事実。

如何にバランスよく判断をせねばならないか、でしょう。

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でね、誤解を恐れず記しますけれど、異常なまでに「セクハラが〜」「女性の人権が〜」「セカンドレイプが〜」と大騒ぎする方々って、結局のところ・・・

【「現実主義者が憎まれるのは、彼らが口に出して言わなくても、彼ら自身そのように行動する事によって、理想主義が、実際は実にこっけいな存在であり、この人々の考え行うことが、この人々の理想を実現するには、最も不適当であるという事実を白日のもとにさらしてしまうからです。

理想主義者と認じている人々は、自らの方法上の誤りを悟るほどは賢くはないけれど、彼ら自身がこっけいな存在にされたことや、彼らの最善とした方法が少しも予想した効果を生まなかったを感じないほど愚かではないので、それをした現実主義者を憎むようになるのです。だから、現実主義者が憎まれるのは、宿命とでも言うしかありません。理想主義者は、しばしば、味方の現実主義者よりも、敵の理想主義者を愛するものです。」】
塩野七生著『海の都の物語 1』の中から第三話 第四次十字軍より抜粋引用。

・・・と思うわけですよ。


追記

チト関係ないようなことなのだが・・

Kamosukeさんから頂いたコメントが、何故か知らぬが「迷惑コメントフォルダ」に入っていた。しかし、そのコメント文面はこのエントリのコメント欄に反映されたコメント文面となんら変わりがない。

どの文言・語彙・単語が、迷惑だ、と判断されたのであろうか?

ということで、Kamosukeさん、迷惑フォルダに入ってしまったKamosukeさんのコメントは、無視してよろしいですか?


差別とか平等を美辞麗句で安易にすませてしまう方々は・・・


【特に、権利や平等を主張する者に対しての攻撃】

・・・と、すぐに喚く。


日本では、権利や平等は保障されている。それを「特に」と強調し、権利や平等がない、または達成されていないかの様なことを主張する。だから「民主主義者たちは、自由よりも平等を好むものだからだ」とその本質を見抜かれ、過剰すぎる民主主義の行き着く先は「プロレタリア独裁」と言われるのである。



【私は、失望することのほうが、オカシイと感じた。人間的な共産(社会)主義なんて、ありえようはずがないのである。スターリンのほうが、よほど首尾一貫している。バカなのは、そういう社会が実現可能だと信じていた良心的なインテリたちである。私が真の共産主義者ならば、彼らのような人間は社会に害毒をおよぼす人種と断じ、粛清でもなんでもして、消してしまったであろう。政治的センスのない良心的な人々が、政治に口をだすことほど害なものはない。とくに、それらの人が、社会的名声など持っていたりすると・・・・、とソ連の支配者が思ったとしても、あの国の政体からすれば、当然ではないかと思う】

【第二に、相対的な考え方を排して、絶対的ななにかを求める動きである。気持は、わからないでもない。相対的な考え方をまっとうするには、実に強靭な精神力を必要とするからである。多くの人にそれを求めることほど、非現実的なことはない。それ一つですべてを律し切れるオールマイティな考え方を持つほうが、よほどラクだし、マジョリティがどういうことを好むかを考えれば、よほど〝自然〟である。
 しかし、この動向が、善意から生まれ、進歩派からいいだされ、若者たちが旗を持ち、比較的にしても少産階級が温床となり、クリーンで潔白で完全主義者の人々が群れの先頭に立ち、しかも情緒的に表現しはじめると、私は怖いことになる危険を、感じずにはいられない。
 なぜなら、これらの性質を強くあらわせばあらわすほど、大衆の好意を獲得するのに容易になるからである。そして、サイレント・マジョリティと結びついた後は、全体主義は、動向から完結への道を邁進するだけである。
 コンセンサスを、ヒットラーもムッソリーニも、昨今の民主主義体制よりはよほど享受していた時期があったことを、忘れてはならないと思う。そして、全体主義下ではなぜか文化が花開かないかは、文化史上の問題だけではないということも】
塩野七生著『サイレント・マイノリティ』の中から全体主義についてより抜粋引用。


参議院予算委員会が開かれている。

その委員会にて、小西某議員が相も変わらす「神学論争」を繰り広げていて、辟易する。で、その小西某議員が委員会にて「軍事と対極にあるのが外交だ」と言い放った。

わかちゃいるけど、それを耳にした時に「ハァ〜」と溜息が出た。いや、本当にこの議員は「無知」であることが、この様な事を国会で述べる時点で改めて思い知った。

で、軍事と外交は本当に対極にあるものなのであろうか?

皆さんはどう思われる?